京都の歴史修学旅行レポート

神護寺の歴史を修学旅行レポートとして提出いたします。

神護寺山門と紅葉

神護寺山門
▲神護寺の山門

神護寺の歴史を修学旅行レポートとして

こんにちは。
今回は京都の神護寺の歴史について記事にしました。

神護寺(じんごじ)は京都市の北西部にある高雄山の中にあるお寺です。
京都駅からバスで約1時間ほどで辿り着くことができます。
神護寺のある高雄山近辺は紅葉の名所として知られており、京都市の中では最も早くに紅葉が訪れるエリアとして人気もあります。

神護寺は歴史も古く、日本の都が京都の平安京に移る前からこの地ありました。
学校の歴史の教科書にも登場する空海が修行のために住んでいた時期があり、最澄も講師として自らの教えを伝えるために神護寺を訪れたこともあります。

それでも他県にお住まいの人は神護寺の名前を聞いたこと無い人が多いと思います。
今回は神護寺の歴史を修学旅行レポートとして学校の担任の先生に提出するつもりで記事にしてみました。

神護寺山門と紅葉
▲神護寺山門と紅葉

誰が神護寺を建てのか?

神護寺は和気清麻呂(わけのきよまろ)という官僚によって建てられました。
和気清麻呂は高校で日本史を専攻する人なら聞いたことがある人物だと思います。

宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐうしんたく事件)で活躍し、平安京を建造する責任者として日本の都を京都へ移すことに大きく貢献した人物です。

神護寺本堂
▲神護寺金堂前

なぜ神護寺は建てられのか?

朝廷で活躍するような人達は自分の祖先を祀るためのお寺や神社を建てることが多く、神護寺も和気清麻呂の祖先を祀るお寺として建てられました。
例えば奈良にある興福寺も藤原氏の祖先を祀るお寺として建てられました。

また当時は奈良の平城京から平安京へ都を移す時期であり、国家は奈良の大仏で有名な東大寺などの奈良仏教界と距離を置いて新しい仏教を求めていました。
そんな中で京都の北東にある比叡山に籠って仏教修行をする最澄に和気氏は可能性を感じ、最澄を神護寺に呼んで彼の教えを講義させるなど、新しい仏教の発展をサポートする場所としても発展しました。

真言宗を設立した空海は神護寺に住んで修行していた時期もあり、彼も後に朝廷から大きな信頼を得て東寺や金剛峯寺を作るなど国を代表する僧侶になりました。

神護寺五大堂毘沙門堂
▲金堂から五大堂と毘沙門堂を眺める

空海と最澄

空海が設立した真言宗は密教(みっきょう)と呼ばれる秘密の呪文を駆使して神様のような力を身に付けようとする修行が含まれる教えでした。
科学の発達した現代に生きる私達が見ると、滝に打たれたり、燃え上がる炎の近くでお経を唱えたり、山に籠って絶食したりする修行に本当に意味や価値があるとは思えません。

しかし当時は人々が神様の存在を信じていた時代、普通の人にはとてもできない厳しい修行に耐えることのできる彼らには不思議な力があるように見えました。
そして貴族達は彼らの祈りによって、自分の病気が治ったり、より高い地位に出世できると信じていました。
そのため空海の元には多くの貴族達が訪れるようになり、空海の存在感は高まっていきました。

その状況に危機を感じたのが最澄でした。最澄は天台宗を設立して延暦寺を建てたことを学校の授業でも習いましたね。
最澄も空海と同じく当時の中国である唐に留学して最新の仏教を学んでいたのですが、密教の知識に関しては空海には及びませんでした。そのため貴族達の願いを十分には叶えることができず、最澄よりも空海の方に人気が集まりました。
神護寺金堂
▲神護寺金堂

対立する二人の天才

そこで最澄は空海から密教の教えを学ぶために、空海のいる神護寺を訪れるようになりました。
最澄だけでなく最澄の弟子たちも空海の弟子となりました。
そのため延暦寺も後に密教を取り入れるようになりました。

最澄は空海よりも年上であり、先に朝廷から大きな信頼を得ましたが、密教をマスターした空海のほうが後に国から信頼を得る結果となりました。
二人の関係性が本当はどうだったのかはわかりませんが、一説には不仲だったと言われています。

最澄は空海から密教を学ぶことにしましたが、最澄は空海が密教の重要な部分だけは教えていないことに気付き、きちんとその部分も教えて欲しいと依頼しましたが空海は拒否しました。
また最澄の弟子の中には、空海の教えを学ぶうちに最澄の弟子を辞めて空海の弟子になるものが出てきたことから二人の間に対立が生まれたとも言われています。

高雄駅から見える景色
▲バス停から見える景色

なぜ山の中にお寺は建てられるのか?

神護寺は高雄山の中腹に境内がありますが、最澄が建てた延暦寺も比叡山の山頂にあり、空海が建てた金剛峯寺も高野山の中にあります。
偶然にも3つのお寺は山の中に建てられていますが、なぜ山の中にあるのでしょうか?

仏教が中国や朝鮮から伝わる前の日本には、山には神様が住んでいると考えられていました。
私達の祖先達は自然の中で狩りをしたり、木の実を食べたり、畑や田んぼで農業をし、豊かな水を運ぶ川に囲まれながら生活してきたので、自然の恵みによって生かされてきました。
松尾橋から嵐山の景色
▲嵐山近くから愛宕山や高雄山を眺める

古代から続く日本人の山への信仰

そして豊かな水を運ぶ川の上流には必ず山があり、山には動物がいて、木の実もあり、山のおかげで自分達は生きることができている。
そんな山に生命の根源を感じ、山には神様が住んでいる、山に対して神秘的な力を感じていたのです。
実際に日本各地には古代人達が山頂に巨大な岩や石を置いて神様の代わりに祀った跡が残っています。

そうした考えが浸透している中で仏教が伝わり、僧侶達は修行の場所に山を選ぶようになりました。山に籠ることで神様の力を身に付けようとしたのです。
最澄も空海も山に籠って厳しい修行を自らに課すことで、山に住む神様が力を与えてくれると考えたのではないでしょうか?
神護寺には古代日本人が自然を神様のように感じていた信仰を垣間見ることができます。

神護寺へのアクセス方法

京都駅から高雄行きのバスに乗れば約1時間ほどで到着です。
(京都駅から山城高雄駅まで乗車時間:50分。乗車賃:520円)
神護寺は山の中にあり、境内に行くためには約400段ある階段を登らなければなりません。
車では境内に行くことができませんので、足の悪い方は残念ながら諦めるしかありません。

神護寺から歩いて10分ほどの距離には世界遺産に登録されている高山寺があり、神護寺と高山寺を一緒に巡ることがおススメです。