京都の歴史修学旅行レポート

京都醍醐寺の歴史|秀吉も花見を開催したお寺

醍醐寺の五重塔

醍醐寺仁王門参道
▲参道

醍醐寺の歴史を修学旅行レポートにて。

今回は醍醐寺の歴史について。

醍醐寺は桜の名所として有名なお寺。
豊臣秀吉が花見をしたことでも知られます。

醍醐寺の歴史

①空海の孫弟子が建てた
②秀吉による復興
③醍醐の花見

醍醐寺仁王門
▲仁王門

空海の孫弟子、聖宝が建てた

醍醐寺は平安時代の874年に聖宝によって建てられました。

聖宝は空海の孫弟子にあたる方で
真言宗のお寺になります。

醍醐寺は山の中にある上醍醐と山の麓にある下醍醐に境内が分かれていますが、
創建当時は上醍醐だけでした。

現在の下醍醐は醍醐天皇によって建設されました。

三宝院の唐門
▲三宝院前の唐門

秀吉による醍醐の花見

応仁の乱によって五重塔以外の建物が全焼してしまいますが、
豊臣秀吉によって多くの建物が再建されました。

現在の三宝院や金堂、五重塔は秀吉によって再建されました。
また秀吉によって多くの桜が植えられています。

秀吉は豪華で派手なイベントをしたことで知られていますが、
醍醐の花見は秀吉が開催したイベントの中でも最大級の豪華さでした。
約1300人を引き連れて盛大な花見を醍醐寺で行いました。

醍醐寺で花見をすることを思いついた秀吉は、
日本中から有名な桜の木を運んできては醍醐寺の境内に700本の桜を植えました。

三宝院の庭園
▲三宝院の庭園

秀吉にとって最後の一大イベントだった。

また花見を楽しむための建物を新たに整備し、秀吉自ら醍醐寺に下見にやって来ては庭園の設計なども行ったと言われています。
そのため花見の当日は人々で賑わい、当時の社会ではあまりに豪華なイベントだったことを伝える文献や絵画が現在も残っています。

花見の様子を描いた醍醐花見図屏風には、美しい桜と美しい女性達が花見を楽しそうに行う様子が描かれていますが、醍醐の花見が行われた時の秀吉は高齢となっており、絵の中では覇気が無く、よぼよぼの老人のように描かれていることが印象的です。

秀吉は醍醐の花見が行われた5か月後に亡くなりましたが、自分の死期が近いことを感じる秀吉には、この先の未来に徳川家康によって豊臣家が滅亡することが見えていたのでしょうか?

 三宝院の庭園2
▲国の特別名勝に指定されている

三宝院エリア

三宝院は1115年に創建され、1598年に豊臣秀吉によって整備されました。三宝院の目の前には美しい庭園が広がっていまして、この庭園は秀吉によって設計され国の特別史跡・特別名勝に指定されています。

また三宝院の表書院は重要文化財にも指定されていまして、秀吉の美的センスを伝える重要な場所となっています。
秀吉と言えば貧しい農民出身であり、上司である織田信長から「猿!」と呼ばれながらも泥臭く出世していった印象を持っているのですが、三宝院の美しい庭園や建物を眺めていると秀吉が芸術面での美的センスも持ち合わせていたことが伺えます。

出世するうちに千利休など文化人と交流する内に、教養や芸術的センスも磨かれていったのでしょうか。
醍醐寺金堂
▲醍醐寺の金堂

伽藍エリア

醍醐寺の本堂である金堂や五重塔、仁王門があるのが伽藍エリアです。
五重塔は京都では最古の木造建築物になりまして、京都駅から見える東寺の五重塔よりも木造建築としては歴史が古い建物になります。

五重塔は平安時代に朱雀天皇が父親である醍醐天皇を弔うために建築した建物となっており国宝にも指定されています。
醍醐寺五重塔下から
▲五重塔
醍醐寺は応仁の乱によって五重塔以外の建物が一度全焼していまして、秀吉の命令によって国宝である金堂は和歌山県の歴史あるお寺を移築しました。金堂にある薬師如来坐像は病気を治癒する仏様として人々の信仰を集め、重要文化財に指定されています。

醍醐寺へのアクセス方法

京都駅から醍醐寺へはJRで山科駅まで行った後に、市営地下鉄の東西線に乗り換えて醍醐駅で降りすのが良いかと思います。
醍醐駅から歩いて約10分ほどで醍醐寺に辿り着くことができます。

京都駅からJR山科駅までは新快速電車に乗ると1駅、乗車時間5分、乗車賃190円。
山科駅で地下鉄に乗り換え後、醍醐駅までは4駅、乗車時間8分、乗車賃260円になります。