京都の歴史修学旅行レポート

宇治上神社の歴史を修学旅行レポートとして提出いたします。

宇治上神社本殿

宇治上神社本殿
▲宇治上神社の本殿

宇治上神社の歴史を修学旅行レポートとして。

こんにちは。
今回は京都の宇治市にあります宇治上神社の歴史について記事にしました。

宇治上神社(うじがみ神社)は世界遺産に登録されている神社ですが、すぐ近くにある平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)の知名度と存在感が大き過ぎるが故に、他県にお住まいの方でその存在を知っている人は少ないと思います。

十円玉にも描かれている平等院鳳凰堂は毎日のように観光客で溢れている一方で、宇治上神社はこじんまりとした雰囲気を持つ静かな神社です。
同じく世界遺産に登録されている平等院鳳凰堂を見た後に宇治上神社を見ると、「なぜここが世界遺産に登録されたのか?」と不思議に思う人もいるかもしれません。。。

今回は宇治上神社の歴史を修学旅行レポートとして学校の担任の先生に提出つもりで記事にしてみました。

宇治上神社の鳥居
▲宇治上神社の鳥居

誰が宇治上神社を建てのか?

宇治上神社がこの場所にいつ建てられたのか現在も明確になっていません。
一説には第15代天皇の応神天皇の離宮(別荘)の跡や応神天皇の息子である莵道稚朗子(うじのわきいらつこ)の家か離宮の跡が原形だったとされています。

莵道稚朗子はある出来事によって自ら命を絶つ悲劇を持つ人で、宇治上神社のある山の山頂で葬られました。そのため彼を弔うために神社に整備されたとも言われています。
宇治上神社には応神天皇や莵道稚朗子が祀られていることから、当時からお二人が宇治地域を支配していたのではないかと考えられています。
時の権力者が宇治に住んでいたことから、当時は日本の首都は京都ではなく奈良や宇治のほうが先に発展していたことが伺えます。
宇治橋から見た宇治川
▲宇治橋から宇治川を眺める。左岸に宇治上神社、右岸に平等院がある。

平等院の鎮守社として

また時代が下り平安時代になると目の前を流れる宇治川の対岸に藤原頼通によって平等院鳳凰堂が建てられました。
そのため頼通は自ら建てた平等院の鎮守社として宇治上神社を現在の形に近いものにしました。
当時はお寺の仏様を神社の神様に守ってもらう考え方があり、お寺の境内や近くに神社を建て、それを鎮守社(ちんじゅしゃ)と呼びました。

宇治上神社拝殿
▲拝殿

宇治と莵道とうさぎの関係。

現在は宇治(うじ)と表記されていますが、昔は宇治ではなく莵道(うじ)と表記されていました。
そのため宇治上神社に祀られている莵道稚朗子は莵道(うじ)に住んでいる天皇の息子という意味で、当時の人々から名前が付けられたのではないかと言われています。

莵道の莵は「うさぎ」とも読みますから、宇治上神社にはうさぎをモチーフにしたお守りや絵馬が観光客から親しまれています。
また莵道稚朗子が道に迷っていた時に一羽の莵が現れて、莵道稚朗子の道案内をしたという逸話が伝わっていることから、莵は狛犬(こま犬)ならぬ神の使いとして扱われています。

宇治上神社境内
▲境内はそんなに広くありません。

兎道稚朗子に起きた悲劇

兎道稚朗子は第15代天皇だった応神天皇の子供として生まれました。
兎道稚朗子は幼い頃から頭が良く勉強熱心だったようで、中国の文献などを読んで多くの知識を国の政治に取り入れたと言われています。

父親である応神天皇は次の天皇には長男や次男ではなく、末っ子の莵道稚朗子にしたいと強く思うようになり、長男や次男には自分が亡くなった後は末っ子の莵道稚朗子を天皇にして皆で支え合って国を治めるようにと遺言を残しました。

現代でこそ天皇はまずは長男がなることが明確に決められていますが、昔は必ずしも長男でなければならないというルールはなく、末っ子でも天皇になることがありました。
しかし長男よりも次男や末っ子が先に天皇になる場合は頻繁に兄弟で権力争いが起きており、もれなく莵道稚朗子の兄弟間でも生きるか死ぬかの権力争いが勃発しました。
宇治上神社本殿
▲本殿は現存する最古の神社建築物と言われています。

年長者か優秀な者のどちらが世の中を治めるべきか。。。

しかし次男は父親の遺言を守るべきと考えて末っ子の味方に付き、長男 vs 次男&末っ子の対立となって長男は敗北して命を落としました。

無事に天皇が決まったと思いきや、莵道稚朗子は中国の歴史を学ぶうちに、兄弟であれば年長者を敬うことが世の中の争いを減らすことに繋がることを知りました。
年長者は長く生きている分、より知恵を蓄えることができ、より良い選択ができるとされました。
そのため次男が天皇になるべきだと信じるようになりました。

次男は父親の遺言は絶対だと弟の言い分を固辞し、お互いに天皇の位を譲り合う状態が続きました。しかし時間が経つほどに、莵道稚朗子は最初から長男に天皇の位を譲っていれば、長男の命を奪わずに済んだと悔み、自分の愚かさを思い悩むようになりました。
そして最後には自ら自分の命を絶つことを選び、次男に天皇の位を譲ってしまったのです。

当時の人々は天皇が自ら命を絶ってしまったことに衝撃を受け、多くの人々が悲しみ、莵道稚朗子の悲劇が語り継がれました。

宇治上神社へのアクセス方法

京都駅からJR奈良線に乗って宇治駅で降りれば徒歩15分ほどで到着です。
(京都駅から宇治駅まで乗車時間:20分。乗車賃:240円)

宇治上神社や平等院鳳凰堂は宇治市にあると言えども、意外とアクセスしやすい場所にあります。混雑さを考慮すると京都駅から清水寺や金閣寺に行くよりも早く到着できる時もあります。