京都の歴史修学旅行レポート

京都北野天満宮の歴史を修学旅行レポートとして提出します。

北野天満宮境内

北野天満宮本殿
▲北野天満宮

北野天満宮の歴史を修学旅行レポート風に。

こんにちは。
今回は学問の神様、受験合格のご利益があることで有名な京都の北野天満宮の歴史について記事にしました。
北野天満宮は平安時代に実在した菅原道真(すがわらのみちざね)が神様として祀られている神社です。
北野天満宮には修学旅行生や制服姿の学生をよく見かけます。

私も高校受験や大学受験の年になると父親が北野天満宮の学業お守りを試験前に買ってきてくれて、そのお守りを制服の胸ポケットに入れて試験に臨んだことを思い出します。
そのため歴史人物の中でも菅原道真に対して親しみを持つ人はたくさんいらっしゃるのではないかと思います。

ところが実際に北野天満宮を訪れてみると、あまり北野天満宮や菅原道真のことについて知っていることがあまりに少ないことに気付きました。(^^;)
そこでせっかく北野天満宮を訪れたこともあり、修学旅行のレポートを先生に提出するつもりでブログ記事にしてみました。

北野天満宮一の鳥居
▲北野天満宮一の鳥居

菅原道真はどうして神社で祀られるような神様になったのか?

まずは一般的に多くの人が知っている話として、菅原道真は小さい頃からとても頭が良く優秀な子供として有名だったそうで、文章博士と呼ばれる政府で最も賢い人が就く位に就任しては、その実力のみでどんどん朝廷内で出世を果たしていきました。

そして当時の天皇である宇多天皇の耳にも道真の評判は伝わり、太政大臣、左大臣の次に偉い右大臣に引き立てられました。
右大臣よりも上のポジションには藤原氏の藤原時平が就き、当時は太政大臣には誰も就いていなかったので実質的に道真はNo2の地位にまで登りつめたことになります。

平安時代の頃は出世をするためにはその人が優秀かどうかよりも、家柄や出自が最重要視されていたことから高い地位は藤原氏か藤原氏と仲の良い人しか就任することができませんでした。
しかし菅原道真は藤原氏出身ではないのに関わらず、頭の良さと実力によって右大臣まで登り詰めるという異例の出世を果たしました。
北野天満宮三光門
▲三光門

藤原氏による陰謀。

しかし宇多天皇から息子の醍醐天皇に天皇が代わるタイミングで、藤原氏の陰謀により道真は九州の大宰府に左遷することが決定し、そのまま九州の地で亡くなってしまいました。
道真よりも家柄の良い貴族達による妬みや嫉妬が原因で道真は無理やり九州に追放されてしまったのです。

ところが道真が亡くなると京都では不吉な出来事が起こるようになりました。道真の左遷に関わった貴族達が次々に急死してしまうのです。
そして極めつけには天皇のいる紫宸殿に落雷が発生し、その火災によって多くの死者が出る事件が起きたことで世の中の人達は菅原道真の祟りが原因なのではないか?と恐れるようになりました。
紫宸殿落雷事件
▲紫宸殿落雷事件

道真による祟りが原因

現代では呪いや祟りによって不吉なことが起こると心の底から真剣に考える人は少ないと思いますが、当時の社会では権力争いや出世争いによる陰謀で不幸な死を遂げた人は、強い怨念によってあの世から生きている人を苦しめると真剣に考えていました。

そのために陰謀を企んだ人達は祟りを鎮めるために神社を建設したり、お寺で祈禱を行いました。そうした経緯により、朝廷は菅原道真の怨念を鎮めるために北野天満宮を建てることにしたのです。
お金の流れで読む日本の歴史
▲お金の流れで読む日本の歴史

菅原道真が左遷された本当の理由。

最近「お金の流れで読む日本の歴史」という本を読んだのですが、本の中で菅原道真が左遷された本当の理由という目次で2,3ページほど興味深い記載がありました。

ざっくり内容をまとめますと、菅原道真と道真を重宝した宇多天皇が実施しようとしていた土地制度改革を実行すると、藤原氏や他の貴族達の財産やお金が減ってしまうことから、その制度改革を阻止するために藤原氏によって道真は陰謀によって消されたとのことです。

平安時代よりも昔に実施された大化の改新によって、日本の土地は全て国が所有と管理をすることになり、国司と呼ばれる機関が地方に設置されて地方から税金を徴収する仕組みが完成しました。

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北野天満宮境内
▲北野天満宮境内

良い政治を目指す道真と不正を良しとする藤原氏

しかし道真が生きた時代になると国司が地方で徴収した税金を自分のものにしたり、京都に住む貴族と国司が癒着をするようになり、本当なら国に集まる税金がいつの間にか京都の貴族達に流れるようになってしまっていました。

その状態に危機感を持ったのが宇多天皇でした。
きちんと国に税金が集まるように改善したいけれども、悪いことをしてお金を手に入れている当の本人である藤原氏や貴族達が自らその体制を変えようとはしません。

そこで宇多天皇が目を付けたのが菅原道真でした。道真が優秀な人物であることは当時の世の中では有名でしたし、道真自身も現在の香川県である讃岐の国司を務めた経験もあり、地方の状態にも精通していました。(ちなみに道真は国司時代に悪いことはしておらず、地方と京都の貴族達の実態を問題視していたと言われています。)

そして宇多天皇と菅原道真がタッグを組んで、不正にお金儲けをしている藤原氏に戦いを挑んだのです。
しかし改革は道半ばで藤原氏によって阻止されてしまいました。これが道真が左遷された本当の理由とのことです。
本にはより詳しく、わかりやすく書かれているので学校の教科書にも採用して欲しいと思いました。(^^;)今も昔も政治とお金の問題は変わっていないのかと思いました。(笑)
北野天満宮本殿
▲本殿

菅原道真が学問の神様として親しまれるようになったは江戸時代から

現在では菅原道真は学問の神様や受験合格のご利益があるとして多くの人に親しまれていますが、江戸時代頃までは商売の神様として信仰されていました。
先程述べた通り道真は左遷された恨みから祟りをする恐怖の存在として、死後は世の中にデビュー(笑)していたので、学問の神様なんて優しい存在ではありませんでした。

しかし朝廷関係者以外の人達は道真は藤原氏の不正に挑み、世の中を良くしようと努めていたことを知っていたことから、庶民や商人たちからは尊敬されていました。そのため道真が亡くなると多くの庶民から商売の神様として祀られていました。

戦国時代の豊臣秀吉が天下を治めた頃に北野天満宮で北野大茶会と呼ばれる盛大なお茶会が開かれたことが示すように、庶民からも親しまれる神様だったことが伺えます。
祟りをする恐怖の人物が祀られている場所で、普通お茶会なんてしませんからね。
北野天満宮御土居
▲秀吉が築いた御土居

道真は学問の神様なのか?祟りをもたらす存在か?

そして江戸時代になると学者たちの間で菅原道真の功績が見直されるようになりました。江戸時代になる世の中が平和になったことで武道よりも学問が盛んになり、多くの学者が勉強に励む中で現在の学問の神様として親しまれるようになったのです。

さてさて。
菅原道真本人は北野天満宮を参拝する人に何を思うのでしょうか?受験合格を叶えてくれるのか?それとも今でも恨みを抱いているのか。。。どっちなのかは誰にもわからない。

北野天満宮へのアクセス方法

京都駅から北野天満宮方面に向かうバスに乗るのが最も簡単です。
ただし私は京都で渋滞や満員バスに巻き込まれるのが本当に嫌なので、京都駅から市営地下鉄で今出川駅まで行った後にバスで北野天満宮まで向かうことが多いです。

北野天満宮を見終わった後は金閣寺方面に行くか今出川まで戻って京都御所や足利義満が建てたことで知られる相国寺、京都御所から世界遺産の下鴨神社まで歩いていくのもおすすめ。