▲上から
六角堂の歴史を修学旅行レポートとして。
今回は六角堂の歴史について。
六角堂(ろっかくどう)は京都の都心部にある都会のお寺。
スタバが隣接された都会のオアシスです。
①聖徳太子が建てた
②大阪四天王寺の木材探し
③親鸞ともゆかり
▲六角堂は正式名を頂法寺という。
聖徳太子が六角堂を建てた
六角堂は厩戸皇子(うまやどのおうじ)こと聖徳太子が建てました。
聖徳太子が活躍していた頃の京都はまだ開発されておらず。
日本の首都も奈良だった時代でした。
聖徳太子は日本に仏教を広めた人。
聖徳太子は仏教を広めることを目的に大阪の四天王寺を建てるための材木探しで奈良から京都まで来ていました。
そんな材木探しの途中で聖徳太子は休憩するために、元々六角堂のある場所にあった池で水浴びをすることにしました。
▲本堂
六角堂と聖徳太子の縁
聖徳太子は水浴びをするために服を脱ぎ、いつも持ち歩いている小さな仏像と一緒に池のそばに置いて水浴びをしました。
そして水浴びを終えて材木探しを続けようとすると、池の近くの木にかけておいた仏像が木から離れなくなってしまいました。
仏教を熱心に学んでいた太子にとって、その仏像は大切な持ち物だったので太子はその場から離れることができませんでした。
すると仏像が太子に「私はこの土地に留まって人々を救うことを決めました。」と語りかけました。
仏像の声を聞いた太子は仏像のためにこの地に六角堂を建てたのでした。
嘘みたいな話。
▲境内の雰囲気
親鸞と六角堂の縁
六角堂には聖徳太子だけでなく鎌倉新仏教の一つ、浄土真宗の創設者である親鸞とのエピソードが残っています。
親鸞と言えば、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と唱えることで全ての人が救われるという教えを持つ浄土真宗を広め、多くの人に支持された人でした。
親鸞は浄土真宗を設立する前には比叡山の延暦寺で長年修行を積んでいました。そしてその修行のひとつとして、六角堂に100日通い続けてお祈りをするという修行を行っていました。
すると95日目の朝になって六角堂の仏様である如意輪観音が親鸞に「法然のもとを訪ねなさい。」と語りかけたそうです。
▲本堂
親鸞が法然の弟子になったきっかけ。
それを聞いた親鸞は法然のもとを訪れて法然の弟子になることを決めました。
法然と言えば、鎌倉新仏教の一つ浄土宗を設立した人だと学校で習いました。
南無阿弥陀仏と唱えることで全ての人が救われるという教えを持つものです。
親鸞は大きく法然の影響を受けつつ、後に自分の教えを確立していきました。
▲境内からスタバ六角堂店に入ることができる。
六角堂スタバ店
六角堂の隣にはスターバックス六角堂店が隣接しています。
六角堂のすぐ隣にあるという立地を活かして、店内から六角堂が見えるようになっています。
ビルやマンションが立ち並ぶエリアでも、お寺や神社が何百年も昔からある歴史ある京都ならではの光景を満喫することができます。
▲店内の雰囲気
買い物をした後にスタバまったり。
ふと。外の景色を見るとお寺が見えるという斬新な構図。(^-^;
六角堂へのアクセス方法
京都駅から地下鉄で四条駅で降りると徒歩10分で到着。
(京都駅から四条駅まで2駅。乗車時間5分。乗車賃230円。)