▲上御霊神社の鳥居
上御霊神社の歴史を修学旅行レポートとして。
こんにちは。
今回は京都にある上御霊神社(かみごりょう神社)の歴史について記事にしました。
他県にお住まいの方で上御霊神社の名前を知っている人は非常に少ないのではないでしょうか? 観光雑誌に掲載されることもない地元の人に親しまれている神社です。
学校の歴史の教科書に上御霊神社は出てきませんが、室町時代に起きた応仁の乱が勃発した場所がここ上御霊神社でした。
上御霊神社は日本の都が京都へ遷る前からこの地に存在していたと伝わっており、古い歴史を持つ神社になります。
そこで今回は上御霊神社の歴史を修学旅行レポートとして学校の担任の先生に提出するつもりで記事にしてみました。
▲上御霊神社の舞殿
御霊(ごりょう)とは何か?
上御霊神社の名前になっている御霊とは、生きている時に強い恨みを持って亡くなった人が死後に怨霊(おんりょう)となって世の中の人に祟りを起こす存在となった後に、人々が怨霊の怒りを鎮めようと神社に神様として祀られるようになった存在のことです。
そう聞くと恐ろしい神社のように感じてしまうのですが、怨霊から御霊になった後は神様と同じ存在になるので恐ろしい存在ではないものとして扱われています。
つまり上御霊神社は怖~い心霊スポット等ではありませんのでご注意を。(^^;)
ただし上御霊神社には奈良時代から平安時代にかけて、この世に恨みを持ちながら亡くなった元怨霊達が祀られています。いったい怨霊とは誰なのでしょうか?
▲上御霊神社本殿
上御霊神社で祀られている御霊。
上御霊神社には8人の御霊が祀られています。
祟道天皇、井上皇后、他部親王、藤原広嗣、橘逸勢、文室宮田麻呂、菅原道真、吉備真備の8人の方が御霊であり、元々は生前に大きな恨みを持って亡くなった方々として祀られています。
私は大学受験で日本史を専攻して試験に臨みましたが、学校の教科書に載っていたような気がするのは他部親王、藤原広嗣、菅原道真、吉備真備の4名です。。。
最も有名なのは学問の神様としても全国的に知られる菅原道真ですが、他の方は全く知らないです。
▲学問神様として知られる菅原道真は死後に雷神となって社会を恐怖に落とし入れた。
怨霊になる人とは。
現代では医学や科学が発達しているので病気や自然災害の仕組みや原因を多くの人が理解していますが、約千年前の平安時代では病気の流行や地震などの自然災害は怨霊によって引き起こされると真面目に信じられていました。
特に天皇になれる資格のある人が陰謀によって暗殺事件の犯人にさせられたり、優秀な貴族が出世を妬む人達によって左遷される等、一般的な庶民ではなく地位の高い人達が陰謀によって失脚した人達が怨霊になると恐れられました。
実際に上御霊神社で祀られている8人の御霊は天皇家や貴族や学者などの地位の高い人ばかりです。
それはある意味、陰謀を起こした人達が自らの悪事に負い目を感じていた部分があったとも言われています。
自分の出世のために陰謀によって相手の命まで奪っておきながら、あの世から私を恨み呪わないで下さいと必死で祈る人達がいたのです。もしくは自分の行ったことの罪滅ぼしの意味もあったかもしれません。
▲上御霊神社の楼門
平安京を造った桓武天皇と上御霊神社の関係
794年に平安京が建造されたことで日本の都が京都に遷りました。
その際に奈良の平城京から都を京都へ遷すことを強く望んでいたのが、当時の天皇だった桓武天皇(かんむ天皇)です。
その理由は一説には、奈良時代に仏教勢力が大きくなり過ぎて政治に対して口を挟むことが多くなったことに桓武天皇が抵抗したとも言われています。奈良の大仏で有名な東大寺は聖武天皇(しょうむ天皇)が建造したことを学校の授業でも習いましたよね。
聖武天皇は仏教に対する信仰がとても深く、国の平和や国民の健康を保つために国民から徴収した税金を使って巨大な大仏を建造するだけでなく、国分寺と呼ばれるお寺を全国各地に建造しました。
▲桓武天皇肖像画 wikipediaよりお借りしました。
桓武天皇が奈良から離れたかった理由。
しかし残念ながら効果は無く、大仏や巨大寺院の莫大な建設費用だけが発生しただけとなりました。それだけでなく仏教勢力も国のために仏教に力を入れるべきだ等とお金目当てに政治介入するようになり、桓武天皇は自分の理想とする政治を実施できない環境に不満を持っていたのです。
そこで仏教勢力を政治から切り離すために、仏教勢力を奈良に置き去りにして新しい土地に都を遷すことを計画しました。その結果794年に平安京遷都が成立したのでした。
そのおかげで桓武天皇は奈良仏教界から離れて理想の政治を行うことができるようになりました。
しかし桓武天皇は奈良の平城京で祀られていた御霊は奈良に置いてくることなく、上御霊神社に御霊を移して祀ることを継続しました。
それは御霊を祀ることを怠ると、社会が乱れると考えていたからだと言われています。
そのため上御霊神社は当時から桓武天皇が中心となって皇室も参拝する神社として信仰されてきました。
▲上御霊神社の境内
上御霊神社には桓武天皇の弟である早良親王(祟道天皇)も祀られている
上御霊神社には祟道天皇が御霊の一人として祀られていますが、この人は早良親王(さわら親王)と呼ばれた桓武天皇の実の弟になります。
早良親王は桓武天皇の次に天皇になることが約束されていた皇太弟でしたが、平安京を建造する前に建造していた長岡京の建造責任者だった藤原種次という人が何者かによって暗殺された事件の黒幕として逮捕されてしまいました。
早良親王は自分が無実であることを必死で兄である桓武天皇に訴えましたが、桓武天皇は耳を傾けずに早良親王が次に天皇になる資格を奪い、自分の子供を次に天皇することを決めました。
そして早良親王は自分の無実を訴えながら、牢屋の中で何も食べずに過ごすうちに亡くなってしまいました。
▲上御霊神社本殿
陰謀が日常茶飯事だった時代
桓武天皇は早良親王に祟道天皇という名前を与え、怨霊となって社会に祟りを起こさないように上御霊神社で御霊として祀りました。
これは桓武天皇による自分の息子を天皇にするための陰謀だったと言われていますし、桓武天皇自身も悪いことをしたことを理解しているので、早良親王を上御霊神社で丁重に祀りました。
現代の感覚では実の弟に対して陰謀を仕掛けることは道徳に反する行為ですが、奈良時代から平安時代には次の天皇の座を争って常に身内争いが起きていました。そして負けた人の多くは悲惨な最後を迎えることが多かったのです。
はたして御霊たちは本当に天国から私達を見守ってくれているのでしょうか?それは誰にもわからない。。。
上御霊神社へのアクセス方法
京都駅から市営地下鉄に乗って今出川駅か鞍馬口で降りてから徒歩10分程で到着。京都駅から今出川駅までは5駅。乗車時間9分。乗車賃260円です。
上御霊神社の近くには天皇の住まいだった京都御所や足利義満が建てた相国寺、安倍清明とゆかりのある清明神社、世界遺産の下鴨神社まで歩いて行くことができますので一緒に巡ることをおススメします。