▲安井金毘羅宮の鳥居には明確にご利益が書かれています。
京都にある安井金毘羅宮の歴史を修学旅行レポートとして。
こんにちは。
今回は京都で縁切り神社として有名な安井金毘羅宮の歴史について記事にしました。安井金毘羅宮(やすいこんぴらぐう)は悪縁を断ち切ることで良縁を結ぶご利益で知られる神社です。
最近では特に女性の参拝客が多くなっていて、他県から京都を訪れる女性のほとんどが安井金毘羅宮に足を運んでいるのではないかと思われるほどです。
その理由はテレビや雑誌などで安井金毘羅宮が取り上げられることが増えているだけでなく、実際に参拝した人に良縁が巡ってきたという口コミが多くあるからです。
今回は安井金毘羅宮の歴史を修学旅行レポートとして学校の担任の先生に提出するつもりで記事にしてみました。
▲縁切り縁結びの碑を願い事を思いながらくぐると願いが叶う。
なぜ縁切りにご利益があるのか?
安井金毘羅宮は崇徳天皇(すとく天皇)という平安時代に実在した天皇が神様として祀られている神社になります。
崇徳天皇と言えば、平安時代に起きた保元の乱(ほうげんの乱)で登場した人物でした。
後白河天皇と崇徳天皇の対立が原因で起きた武力衝突で、保元の乱は平清盛や源義朝などの武士達が歴史の主役になるきっかけとなった事件と学校で習いました。
保元の乱は後白河天皇が勝利し、崇徳天皇は敗者となり京都から四国地方の香川県に追放の刑に罰せられまして、崇徳天皇はそのまま香川県で亡くなりました。
▲縁切り縁結び碑には多くの人の願いが書かれた短冊が積もっている。
崇徳天皇の思いが縁切りと縁結びを運んでくれる。
安井金毘羅宮の公式サイトでは崇徳天皇が京都では天皇の立場で何不自由なく生活をしていたところから一転し、香川の地で一切の欲望を断って自らに与えられた処罰を受け止めて亡くなったことを受けて、自らの欲望や人間関係など全ての繋がりを断ち切るご利益があると説明されています。
また崇徳天皇には愛する人が京都にいましたが、香川県への配流の刑によってもう二度とその女性と会うことは許されませんでした。
崇徳天皇は香川の地で京都に残した愛する人のことを思い、自らの罪を悔やみ、人々が自分と同じように愛する人と会えなくなる苦しみを生む境遇や悪縁を絶ち切ることを願いました。
そのため安井金毘羅宮では男女の縁、友人関係や人間関係だけでなく、病気や習慣、酒や煙草や賭け事など自分と関係を断ち切りたい縁を切るだけでなく、良縁を運ぶご利益があると人々から信仰されるようになりました。。。
どうなんでしょうか?
公式サイトの由縁を見てもご利益と崇徳天皇との関係性がいまいち繋がらないような気がするのは私だけでしょうか?
▲安井金毘羅宮本殿
安井金毘羅宮の歴史
安井金毘羅宮は元々は崇徳天皇が愛した女性である阿波内侍が住んでいた屋敷があった場所で、崇徳天皇が四国の地で亡くなった後に阿波内侍が崇徳天皇を祀るお堂を建てたことが安井金毘羅宮の始まりです。
崇徳天皇は処罰された側の人なので、基本的に世の中の人は崇徳天皇のことを良く言ったり、祀ったりすることは後白河天皇を否定することになり処罰されます。
そのため阿波内侍は人前で崇徳天皇のことを祀ることはできません。
だから阿波内侍は人に知られないようにひっそりと自分の屋敷内で亡き崇徳天皇のことを祀っていました。
ところが後白河天皇の身内が次々に亡くなったことから、崇徳天皇のことを丁重に扱う方針に変わり、阿波内侍が建てたお墓は国が公式に崇徳天皇を祀る場所として整備されました。
その後は応仁の乱や幕末の戦いの影響で火災に遭いながらも修復されて現在の姿となっています。
▲怨霊崇徳天皇を描いた江戸時代の浮世絵 Wikipediaよりお借りしました。
崇徳天皇は日本史上最恐の怨霊である。
怨霊(おんりょう)とは生きている頃にこの世に恨みを持って不慮の死を遂げた人が、生前に恨んでいた人に怨念によって恨みを果たす存在である。
安井金毘羅宮に祀られている崇徳天皇は保元の乱によって京都から香川県へ追放され、勝者である後白河天皇やその周りにいる人達を死ぬまで恨んで亡くなったと言われています。
崇徳天皇が四国の地で亡くなった後、京都では不吉な出来事が起き始めます。後白河天皇の周りの人が急死したり、病気になったりと不可解な出来事が起き始めました。
後白河天皇の奥さんの一人である平滋子が亡くなり、孫である六条院が13歳で亡くなり、近衛天皇の奥さんが亡くなり、二条天皇の奥さんも亡くなるなど後白河天皇周辺の人達に不幸が起きたことで、世の中の人は崇徳天皇の祟りが原因なのではないかと噂しました。
当時の人は不幸な出来事が続くと恨みを持って亡くなった人の祟りが原因であると考えていたので、後白河天皇は崇徳天皇の祟りが原因だと考えました。
▲境内
怨霊の存在は本気で信じられてきた。
そこで後白河天皇は崇徳天皇の祟りを鎮めるために崇徳天皇のお墓を整備したり、僧侶達に加持祈祷をさせるなど自分の身に振りかかる崇徳天皇の祟りを恐れました。
当時の世の中では天皇が処罰されることは異常で、さらに後白河天皇の身内が次々に亡くなったことから崇徳天皇の怨霊に恐怖が人々に知れ渡りました。
崇徳天皇の怨霊の恐ろしさは後世にも伝わり、江戸時代には怨霊となった崇徳天皇を描いた浮世絵や物語が作られて多くの人の心に印象付けられました。
▲縁切り縁結び碑
本当に縁切りと縁結びは同時に訪れるのか。
安井金毘羅宮にはそんな崇徳天皇が祀られているのですが、本当に悪縁を断ち切るだけでなく良縁を運んできてくれるのでしょうか?
この世に恨みを持って怨霊になった人が、この世で幸せを願う人の願いを聞いてくれるのでしょうか?
最恐の怨霊と呼ばれるほどの強力な力を持つからこそ、他の神様には備わっていない力で悪縁を断ち切ることができるのかもしれません。
ただ私は崇徳天皇の怨霊の存在が怖いなぁ。。。
安井金毘羅宮へのアクセス方法
京都駅から安井金毘羅宮へはバスで行くのが簡単です。
京都駅から清水寺行きのバスに乗り、東山安井駅で降りると徒歩1分ほどで到着。
(京都駅から東山安井駅まで乗車時間:15分。乗車賃:210円 )
安井金毘羅宮からは清水寺や八坂神社、祇園などの観光名所へ徒歩で行くことができます。そのため清水寺に行くなら一緒に安井金毘羅宮を巡るといいと思います。