京都の歴史修学旅行レポート

伏見稲荷大社の歴史を修学旅行レポートとして提出致します。

伏見稲荷鳥居

伏見稲荷千本鳥居
▲千本鳥居

伏見稲荷大社の歴史を修学旅行レポートとして。

こんにちは。
今回は伏見稲荷大社の歴史について記事にしました。

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は朱色の鳥居が永遠に続いているかのような光景で有名な神社です。
朱色に彩られた鳥居がいくつも建っている様から千本鳥居と呼ばれています。

千本鳥居を一目見るために毎日のように国内海外問わず非常に多くの観光客が訪れていまして、土日だけでなく平日も観光客だらけの超人気スポットとなっています。
そのため千本鳥居に観光客が見切れない写真を撮ることはほぼ不可能なほど。
千本鳥居の美しい写真を撮ろうと思うなら早朝しかないと思います。(*_*;

さて。
千本鳥居を見るために伏見稲荷大社を訪れる人はたくさんいますが、その中で伏見稲荷の歴史について何か知っている人はほとんどいないのではないのでしょうか?
そこで今回は伏見稲荷大社の歴史を修学旅行レポートを学校の担任の先生に提出するつもりで記事にしてみました。

伏見稲荷楼門
▲伏見稲荷大社の楼門

誰が伏見稲荷大社を建てのか?

伏見稲荷大社の歴史は古く、日本の都が京都の平安京に遷る前からこの地にあります。
まだ京都が日本の首都として発展する前にこの地域で生活していた秦氏(はた氏)と呼ばれる一族が伏見稲荷大社を建造しました。

秦氏は中国大陸から日本に渡って来た渡来人であり、服や布を作る機織り技術や立派なお寺や川の氾濫を防ぐ防波堤を建設する技術やお酒を作る技術など、当時の日本には無い先進技術を持った渡来人でした。
伏見稲荷大社本殿
▲伏見稲荷大社の本殿

今の京都があるのは秦氏のおかげ?

彼らの先進技術や知識は当時の日本にとっては貴重なものでしたので、日本の朝廷は彼らを味方につけて彼らの生活を支援し、京都の土地の一部を彼らが住むことを許可したのです。

京都には秦氏が生活していた地域があり、観光名所として有名な嵐山エリアや聖徳太子を祀るお寺として知られる広隆寺や東映太秦映画村のある太秦エリアも秦氏の支配地域でした。

京都が日本の都になる前の時代には、渡来人である秦氏によって土地の整備が一部行われてきましたので、今の京都があるのは早くから秦氏が開拓してきたおかげかもしれません。

伏見稲荷千本鳥居
▲千本鳥居の中

伏見稲荷は商売の神様?

伏見稲荷大社は商売の神様として関西圏の人から信仰されています。
正月休み明けの初出勤日には、京都だけでなく多くの関西圏の企業の方々が「新しい一年が商売繁盛しますように。」と伏見稲荷にお参りにやってきます。

しかし伏見稲荷大社が商売の神様として信仰されるようになったのは江戸時代以降になってからであり、設立当初は農業の神様として地域の人々から信仰されてきました。

伏見稲荷一ノ峰
▲稲荷山の山頂にある一ノ峰には注連縄の撒かれた大きな岩が鎮座。

初めから商売の神様だったわけではない。

伏見稲荷大社の本殿の裏に有名な千本鳥居がありますが、千本鳥居を通り抜けた後も鳥居は続き、稲荷山の頂上まで鳥居は建ち続き稲荷山の頂上にある一ノ峰には大きな岩が祀られています。
山の頂上にある大きな岩は古代から神様のように祀られてきました。

古代から日本人は自然の中に神様が住んでいると考えてきました。
科学の発達した現代に生きる私達には想像できないですが、大昔にはテレビもラジオもスマホも天気予報も病院もありません。
そのためどうして雨や雷や台風や地震が起きるのか?その原因は神様が怒ったり喜んだりすることで発生していると信じられていました。
伏見稲荷狐
▲伏見稲荷では狛犬の代わりに狐が神社を守っている。

自然と共に生きた日本人

天気が良くて災害が少なければ豊作が望めますが、そうでなければ食べ物が激減し、自然環境によって自分達の命が大きく左右される原始的な生活を送っていました。

神様のような巨大な存在が自分達を豊かにしてくれる。。。しかし神様が姿を現すことありませんし、誰もその姿を見たことがありません。
だからその代わり神様が住んでいると考えられていた山や海、自然の深い場所や大きな岩や石を祀るようにしたのです。
伏見稲荷絶景
▲稲荷山から見える京都市内の展望

神様は山に住む

伏見稲荷大社の頂上にある岩も同じように古代の日本人が稲荷山に住む神様が自分達に豊かな恵みをもたらしてくれることを願って祀りました。
室町時代に起きた応仁の乱によって焼失しましたが、昔は山頂にも神社の建物があったと言われています。

伏見稲荷大社と言えば千本鳥居や商売の神様という印象が強いのですが、私達日本人の原点とも言える自然と共に生活してきた歴史をひっそりと今にに残している。

伏見稲荷鳥居
▲山頂付近の光景

千本鳥居ができたのは江戸時代から。

伏見稲荷大社は長い歴史を持ちますが、千本鳥居ができ始めたのは江戸時代以降だと言われています。
戦国時代を経て江戸時代になると国内の治安も良くなり、多くの人が旅行を楽しめるようになりました。
そして伏見稲荷大社を訪れた人の間で、神社にお参りをして願いを叶えた人がそのお礼に鳥居を奉納する習慣が生まれたそうです。
伏見稲荷千本鳥居混雑
▲千本鳥居で一瞬人がいなくなった時。

願いが叶ったら鳥居を奉納

最初に鳥居を奉納した人が何故そうしたのかは定かではないのですが、自分の願いが叶ったことと、鳥居を通ったことをかけて、鳥居を奉納したそうです。

一人が鳥居を奉納したことで、多くの人がそれに続きました。
最初に鳥居を奉納した人はまさか鳥居が1万基以上も建つとは想像もしていなかったと思います。
ちなみに鳥居は現在もお金を払えば誰でも鳥居を奉納することができます。

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伏見稲荷大社へのアクセス方法

伏見稲荷大社へは京都駅からJR線に乗って稲荷駅で降りれば徒歩5分で到着です。
(京都駅から伏見稲荷駅まで。乗車時間:4分。乗車賃:140円)