京都の歴史修学旅行レポート

貴船神社の歴史|京都の水の神様として古代より祀られてきた神社

貴船神社灯篭

貴船相生の杉
▲相生の杉

貴船神社の歴史を修学旅行レポートにて。

今回は貴船神社の歴史について。

貴船神社は古代より水の神様として信仰されてきた神社。
夏になると川床を楽しめる観光地として人気です。

貴船神社の歴史

①誰が建てたか不明
②平安京以前より存在
③和泉式部も来たことあり
ここに本文を入力

貴船神社本殿と七夕
▲本殿

誰が貴船神社を建てのかは不明

貴船神社の歴史は大変古くて明確に誰がいつ建てのかは不明だそうです。
平安京遷都以前よりこの地にあります。

資料としては666年に神社の建物を建て替えた記録が残っているそうですが、
創建はそれ以前なのは確実ですが不明。

不明だからこそ余計に気になる。

鴨川からの景色
▲鴨川の上流には山々が連なる

水の神様として祀られてきた貴船神社

いつ誰が建てたか不明だとしても。
貴船神社の成り立ちは想像できます。

貴船神社は京都市内を流れる鴨川の上流に位置することから、
京都の土地に恵みをもたらす水の神様として祀られてきました。

大昔に京都で暮らしてきた人々にとって
鴨川の水は生活必需品だったはずです。
飲み水としても、稲作や農作業にとっても必要不可欠。

大昔の日本人は自然の中に神様が住んでいると考えて自然を敬い大切にしてきました。
大切な水の源である鴨川上流の山々には神様がいる。
そうした原始的な自然信仰の姿が貴船神社を作ったと思います。

貴船相生の杉
▲貴船神社にある相生の杉

現在は夏の京都の避暑地として。

貴船神社は京都に水の恵みをもたらす川の上流にあたることから、大昔から水の神様として祀られており、雨が長期間降らない時には雨乞いの儀式などが行われてきました。
鴨川は京都を流れる川になりますが、京都を通り過ぎると大阪に入り、そのまま大阪湾に流れ着きますので、貴船神社は京都だけでなく関西圏の人々からも水の神様として祀られてきました。

現在では貴船神社と言えば、夏の京都の避暑地として多くの観光客が訪れる神社です。
貴船神社のすぐ横を流れる川沿いには旅館が建ち並び、それぞれの旅館が川床を設置して、夏の京都らしいメニューを堪能することができます。
ほとんどの川床では、鮎の塩焼きや鱧料理を食べることができますが、最低でも一人一万円ほど必要ですけども。。。

貴船神社本殿
▲貴船神社本殿

貴船神社と和泉式部と復縁

貴船神社は復縁にご利益があることでも知られています。
大好きな恋人と別れることになっても恋人のことをどうしても忘れられない、もう一度恋人との幸せな時間を取り戻したい願いを叶える神社として密かに有名です。

貴船神社がどうして復縁にご利益があると言われているかというと、平安時代に活躍した女性歌人の和泉式部(いずみしきぶ)と深い関係があります。
和泉式部は紫式部や清少納言と同じ時代を生きた女性歌人であり、学校の古文の授業に登場する人物でした。

紫式部は源氏物語というフィクション小説を書き、清少納言は自身の日記が枕草子として有名になり、和泉式部は自身の恋愛を和歌にして歴史に名を残しました。

貴船神社本殿と七夕
▲貴船神社本殿

復縁を叶えた和泉式部のエピソード

和泉式部は多くの男性から愛され、大変にモテモテな女性でした。
当時の天皇の息子さんだった皇子とお付き合いし、不幸にも皇子が病気で亡くなった後にはその皇子の弟ともお付き合いをしていました。
またその間にも多くの男性との噂があり多くの男性を虜にする女性でした。

そんな彼女がある男性と結婚した際に、夫が別の女性と不倫をしてその女性のことに夢中になってしまいました。
和泉式部は愛する夫の心離れに大変なショックを受けて、都会から離れた貴船神社にやってきました。
和泉式部は夫のことが頭から離れず、貴船神社の神様に向けて夫が自分の元に戻ってきてくれることを願いました。

すると夫は和泉式部の元に戻ってきてくれるようになり、和泉式部は貴船神社の神様に大変感謝をしました。
このエピソードが元になり貴船神社は復縁にご利益があると言われるようになりました。

貴船神社へのアクセス方法

貴船神社は京都駅から電車で3回乗り換えをして行くことができます。(;^ω^)

京都駅からJR奈良線に乗り東福寺駅で降りた後で京阪電車に乗り換えまして、終点の出町柳駅まで乗車後に叡山電鉄に乗り換えします。
そして貴船口で降りた後にバスで貴船神社前まで乗って到着です。。。
貴船神社奥宮
▲貴船神社奥宮
他県から京都を訪れる人には、京都駅まで行くのにも何時間も必要なのに京都駅からさらに約1時間ほどかかるとなると大変です。。。