京都の歴史修学旅行レポート

高台寺の歴史を修学旅行レポートにて提出します。

高台寺庭園

高台寺観月台と開山堂
▲高台寺の観月台と開山堂

高台寺の歴史を修学旅行レポートとして。

こんにちは。
今回は豊臣秀吉の妻である「ねね」とゆかりのある高台寺の歴史について記事にしました。

高台寺(こうだいじ)は世界遺産の清水寺の近くにあることから多くの観光客が足を運びます。高台寺の境内は手入れがしっかりしており、品のある雰囲気が漂うだけでなく庭園も美しいお寺です。
また期間限定でライトアップも行うなど若いカップルにも人気のお寺です。
さらには歴史的にも豊臣秀吉の妻である「ねね」が眠っているお寺としても知られており、京都に多くある寺社仏閣の中でも人気のあるお寺となっています。

しかし他県にお住まいの方で京都旅行をする前から高台寺の存在を知っている方は少ないのではないでしょうか?
高台寺や秀吉の妻「ねね」のことが学校の教科書に出てくる訳ではないので、京都旅行をする際に観光雑誌やガイドブックで高台寺がおススメのお寺として紹介されているのを見て初めて存在を知る方が多いかと思います。私もそうでした。。。(^^;)

そこで今回はせっかく美しい高台寺の訪れるのなら、高台寺の歴史についても自分で調べて記事にしてみました。

勅使門と方丈前庭
▲勅使門と方丈前庭

誰が高台寺を建てたのか?

高台寺は豊臣秀吉の妻である「ねね」によって建てられました。
秀吉が亡くなった後に夫である秀吉の死を弔う目的で建設されました。
また豊臣家が滅亡することとなる大阪の陣の際には、高台寺の境内から大阪城から上がる火の手が見えたために、ねねはその煙を眺めていたと伝えられています。

ねねと秀吉はまだ秀吉が織田信長の部下として頭角を現す前に結婚をしており、若い頃の秀吉はしっかり者のねねに支えられていたことで知られています。
またねねは夫である秀吉の面倒だけでなく、秀吉の部下達の面倒もしてあげたことから秀吉の部下達からも深く慕われていました。

ねね肖像画
▲ねねの肖像画 wikipediaよりお借りしました。

秀吉の若い頃を支えたねね

豊臣秀吉は農民出身にも関わらず、織田信長にその才能を見出されたことで最終的には武士の頂点まで登り詰めるという大出世を果たしました。日本史上で最も下剋上を成し遂げた人物は秀吉で間違いありません。
そんな秀吉を妻として支えたのがねねでした。

ねねと秀吉は秀吉が信長軍のもとで出世をするかしないかわからない頃に出会い結婚しました。
当時のねねは美人で有名であり、秀吉の一目惚れとしつこい猛アタックに折れた形で夫婦となったそうです。

結婚当時の秀吉はまだ偉くもなく、部下もあまり持っていない身分でしたが、ねねは妻として秀吉の面倒だけでなく秀吉の部下達のご飯も作ってあげたりとお世話をして、ほとんど秀吉の右腕として若い頃の秀吉を支えたと言われています。

そのため当時から秀吉と共に戦ってきた部下達はねねのことを大変慕っていまして、ねねと秀吉の部下達との深い絆が後の関ヶ原の合戦で石田三成が徳川家康に負けたことに影響を与えたとも言われています。

高台寺開山堂
▲高台寺の開山堂

出世した秀吉の女好き癖がねねを苦しめた。

秀吉の一目惚れと猛アタックによってねねと夫婦になった秀吉でしたが、秀吉は出世するに従い若い女性に夢中になってねねのことをないがしろにするようになりました。

当時の社会では偉い人は妻を何人も持つことが普通でして、一族を継ぐ子孫を残すために正式の奥さん(正室)だけでなく側室と呼ばれる第二夫人や第三夫人を持つことが当たり前でした。
そのため秀吉は出世を果たしたことで何人もの若くて美しい女性を側室に迎えましたが、ねねとしては複雑な心境でした。

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高台寺庫裏
▲高台寺の庫裏

いくら後継ぎを残すためと言えど。。。

現代の感覚では一夫多妻制は非常識ですが、当時は血筋を非常に大切にしていたこともあり側室を持つことは重要なことでした。実際に秀吉とねねとの間には後継ぎとなる男の子は生まれることがなく、側室である淀殿との間に後継ぎとなる豊臣秀頼が生まれます。
そのため側室制度がなければ豊臣家は徳川家康によって滅ぼされる前に絶えていたことになります。

さらに側室である淀殿が秀吉との間に男の子を産んだことに対して、ねねは淀殿に秀吉の後継ぎを生んでくれてありがとうと大変感謝したと言われています。秀吉が若い女性を側室に迎えることに複雑な気持ちになりながらも、それとは別で一家の後継ぎを生むことはそれ以上に重要だったのです。

高台寺の霊屋
▲霊屋(おたまや)にはねねが土葬されている。

ねねと徳川家康の関係

ねねは秀吉が次から次へと若い女性を側室に迎えることに心を痛めました。さらに後継ぎとなる秀頼を生んだ淀殿の立場も上がると、淀殿もねねの存在を邪魔だと思うようになり、ねねの豊臣家の中でも居場所が小さくなっていきます。

そうした状況でねねは徳川家康と親交があり、色々と相談にのってもらうようになりました。そのため秀吉が亡くなった後にねねが高台寺を建設するお金は家康が支援しています。

またねねが秀吉に不満を抱いている一方で部下達の間にも対立が起きていました。ねねと共に秀吉の若い頃を支えた部下達と、秀吉が偉くなってから秀吉の部下となった石田三成との間に対立が起きていました。

昔から秀吉と共に戦ってきた部下達は武力に長けた武士でしたが、石田三成はどちらかというと頭が良いが戦いは苦手なタイプだったので、武士のくせに大した勝利も上げていない三成のことを嫌いな武士もたくさんいたのでした。
高台寺の勅使門
▲勅使門

ねねを慕う秀吉の部下達が関ヶ原の合戦で家康に味方をした。

ねねの元を訪れた部下達はねねに石田三成の不満を話すと、ねねは将来に家康と豊臣家が対立する際には家康側に味方しなさいとアドバイスをしたと言われています。
その結果、関ヶ原の合戦では秀吉の部下だった武将も家康側に味方して家康の勝利に貢献しました。

関ヶ原の合戦では小早川秀秋という武将が三成と家康のどちらの味方につこうか悩んだ末に家康側に味方したことが家康勝利の決定的な要因となったことが有名ですが、小早川秀秋はねねの甥でもありました。
ただ最大の要因は三成の戦下手が生粋の武士である家康には通じなかったことが敗戦の原因でした。

高台寺庭園
▲高台寺庭園

高台寺は不倫は一家滅亡への道だということを彼氏や夫に知らしめる場所。

ねねと秀吉は当時の武士の間では珍しい恋愛結婚だったことから恋愛成就のご利益があるとも言われています。
しかし秀吉のことを知っている人なら、秀吉に縁結びや恋愛成就のご利益があるとは思えないでしょう。

なぜなら秀吉は出世したら若い女性と不倫をしまくって妻であるねねを悲しませたからです。(^^;)
そのため私は密かに高台寺は不倫防止のご利益があるとアピールしたら人気が出るのではないかと思っています。
若い女性と不倫をしたことで最終的に妻の恨みを買って一家滅亡してしまった実例が高台寺だからです。
高台寺から見える大阪城の煙
▲大阪の陣では大阪城から上がる煙が見えたという。。。

高台寺デートで彼氏や夫の浮気を確かめる方法。

庭園も美しくライトアップも開催される高台寺に彼氏や夫をデートに誘い、境内の雰囲気を一通り楽しんだ後で不意に高台寺に眠るねねと秀吉の歴史を語り出すのです。

当時の武士の間では政略結婚が主流で普通の恋愛結婚は珍しい状況でねねと秀吉は恋愛結婚をしたことから高台寺は恋愛成就や縁結びのご利益があるんだって。。。

と普通の話をし始めた後に

でも秀吉は出世した後に不倫をしまくったことで、ねねの恨みを買って関ヶ原の合戦ではねねと仲の良い秀吉の部下が全員家康の味方についてしまったせいで関ヶ原の合戦で負けちゃったの。
合戦中に秀吉と家康のどちらの味方につこうか迷っていた小早川秀秋もねねの甥だったんだって。

関ヶ原の合戦の敗北が後の大阪の陣で豊臣家が滅亡してしまったことに繋がったことから、高台寺には不倫を防止するご利益もあるんだって。

そう説明した後の彼氏や夫が動揺していたら、心の内が見えるかもしれない。。。(^^;)

高台寺へのアクセス方法

京都駅から高台寺へは京都駅前のバスターミナルから清水寺行きのバスに乗り、バスの運転手さんが清水寺へ行く人はこちらで降りて下さいと案内があるのでそこで降りてから歩いて行くのが良いと思います。

高台寺は世界遺産の清水寺からも近く、八坂神社や円山公園、知恩院や青蓮院、縁切り神社として有名な金毘羅宮など観光名所が集まっていますので一緒に巡ることをおススメします。
ねねの道
▲高台寺の出口