京都の歴史修学旅行レポート

安井金毘羅宮の歴史|京都の縁切り神社が誕生した由来

縁切り縁結びの碑

安井金毘羅宮鳥居
▲鳥居

安井金毘羅宮の歴史を修学旅行レポートとして。

今回は安井金毘羅宮の歴史について。

安井金毘羅宮は縁切り神社として有名です。
どうしてそんなパワースポットなのでしょうか?

安井金毘羅宮の歴史

①最初は藤原氏が建てた
②崇徳天皇とのゆかり
③バブル後に縁切りで人気に

安井金毘羅宮本殿
▲本殿

最初は藤原鎌足が建てた

安井金毘羅宮の歴史の始まりは意外と古く。
まだ都が奈良にある時代に。
中臣鎌足がお堂を建てたことに始まる。

目的は中臣氏の繁栄を願う一族のため。
個人的な小さなお寺として建てられました。

崇徳天皇怨霊
▲崇徳天皇

崇徳天皇お気に入りの場所として

時代は平安時代へと移りまして。
崇徳天皇が安井金毘羅宮の藤の花の美しさが好きでお気に入りの場所に。
さらに愛する女性、阿波内侍を住まわせていました。

しかし学校の授業でも習った通り。
崇徳天皇は保元の乱に敗れて香川県に流刑。
そしてその地で亡くなりました。

日本史上最恐の怨霊へと変身

崇徳天皇は壮絶な亡くなり方をしたことで有名でして。
日本の歴史で最も怖い怨霊として恐れられる存在です。

そして安井金毘羅宮に祀られているのが崇徳天皇。
当時の社会では崇徳天皇が亡くなってから不吉な出来事が起こりまくり。
国家として崇徳天皇の怒りを鎮めることを真剣に考えて。
亡くなった香川に立派なお墓を建てたりしています。

京都にはその流れを継ぐ白峯神宮という神社もありまして。
とても私達のお願いを聞いてくれるとは思えないほどに
怖ろしい存在に多くの人が縁切りをお願いすることになっています。

白峯神宮鳥居
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縁切り縁結び碑
▲縁切り縁結び碑

バブル期に転機

安井金毘羅宮の歴史を知ると縁切りと関係を感じないのですが。
戦後を過ぎてバブル期に転機が訪れます。

有名な縁切り縁結び碑を建ててから一気に縁切り神社として人気が出たそうです。
なんとなく胡散臭い気がしてしまうのですが。

テレビや雑誌等で縁切りが叶ったという体験談が多数あるのは事実。
パワースポットとしても絶大な力がありますし。
見える人からは「SNSで軽はずみに安井金毘羅宮の写真をUPしないで!」
と注意されるほどの負のパワーが渦巻いているそうです。

安井金毘羅宮へのアクセス方法

京都駅から安井金毘羅宮へはバスで行くのが簡単です。
京都駅から清水寺行きのバスに乗り、東山安井駅で降りると徒歩1分ほどで到着。
(京都駅から東山安井駅まで乗車時間:15分。乗車賃:210円 )

安井金毘羅宮からは清水寺や八坂神社、祇園などの観光名所へ徒歩で行くことができます。そのため清水寺に行くなら一緒に安井金毘羅宮を巡るといいと思います。