▲八坂神社本殿
八坂神社の歴史を修学旅行レポートとして。
今回は京都にある八坂神社(やさか神社)の歴史について。
日本3大祭りの1つ、祇園祭で有名な京都を代表する神社。
清水寺からも近くて観光客で賑わう人気神社の1つです♪
①876年創建
②修行僧の円如が建てた
③元々はお寺からスタート
④祇園祭を主催
⑤牛頭天王を祀る
⑥神仏分離令により八坂神社へ
▲八坂神社本殿
奈良興福寺の修行僧の円如が建てる
八坂神社の歴史は876年に始まります。
奈良県の興福寺の修行僧である円如が建てたと伝わります。
最初は神社ではなくお寺としてスタート。
名前も「祇園社感神院」と呼ばれていましたし。
興福寺のグループ寺院として建てられました。
その後は比叡山延暦寺のグループ寺院に移籍して。
天台宗のお寺として。
天台宗を広める拠点としての役割を担いました。
▲祇園祭の月鉾
疫病を鎮める神様(牛頭天王)を祀る
創建当初は牛頭天王と呼ばれる神様を祀りました。
牛頭天王はインド由来の神様とも言われており。
頭の上に牛の頭が乗った見た目が気味悪い神様です。
当時から牛頭天王は疫病を鎮める神として広まっており。
平安京遷都以降に人が集まるようになると街には疫病が流行。
毎年のように夏になると原因不明の疫病が流行り多くの命が失われたこともあり。
怖ろしい牛頭天王なら疫病さえも消してくれると考えられていました。
当時は現代のように薬も無ければ。
ワクチンもない。
何が原因かもわからない。
当時の人々はそういう場合は神頼み。
疫病を退散してくれるように見えない神様にお祈り。
その願いが祇園祭として今も続いています。
▲祇園祭山鉾巡業(鷹山)
牛頭天王に疫病退散を願うための祇園祭
祇園祭は疫病を鎮めることを神様にお願いするお祭りが始まり。
八坂神社は現在では素戔嗚尊(スサノオノミコト)が祀られていますが。
当時は牛頭天王と呼ばれるインド由来の神様が祀られていました。
牛頭天王は乱暴な神様ですが。
強くて荒ぶる神様なら怖ろしい疫病も鎮めてくれると考えられていました。
だから京都の町の人達は派手な鉾や山を作って祇園祭を盛り上げます。
盛り上げることで牛頭天王が喜び、疫病も鎮めてくれるって理屈です。笑
現在の祇園祭のように豪華な山鉾が室町時代には存在していました♪
朝廷が主導するのではなく、町の人々が主導して作るお祭りなのも特徴です。
▲南楼門
明治政府の神仏分離令で八坂神社へ
明治時代の神仏分離令によって祇園社は八坂神社へと名称変更されます。
八坂神社のあるエリアが昔から八坂郷と呼ばれていることから。
八坂という地名を取って八坂神社として生まれ変わります。
さらに神様も牛頭天王から日本の神様である素戔嗚尊へ変更。
祇園祭も素戔嗚尊を祀る祭へと変わります。
▲八坂神社の舞殿
神仏分離令により大きく姿が変わる
神仏分離令によって八坂神社は現在の姿に整備されます。
現代の神社の姿に慣れている私には想像も付かないですけども。
明治時代以前の神社には多くの僧侶さん達が働いていました。
明治政府の宗教政策によって神社から仏教的要素が排除される一環で。
八坂神社で長く祀られてきた牛頭天王の代わりに。
日本古来の神様である素戔嗚尊が祀られます。
ちなみに八坂神社の東側に広がる円山公園も祇園社感神院の境内だったけど。
明治政府が接収して現在の公園に様変わりしました。
春になると大きな枝垂れ桜が美しい円山公園。
桜の時期には必ず見に行くのですが。
明治以前の祇園社感神院の姿も凄く興味があります。。。
八坂神社へのアクセス方法
八坂神社へは京都駅からバスで清水寺方面に向かうバスで行くか、電車で行く場合は京都駅から1駅先の東福寺駅で京阪電車に乗り換えて2駅先の七条駅を降りてから徒歩10分程で到着します。
八坂神社は観光地である祇園にありますので、京都旅行の際には多くの観光客の目に止まると思います。また近くには清水寺や建仁寺、縁切り神社として有名な金毘羅宮も近くにありますので、祇園でお土産を買いながら一緒に巡ることをおススメします。
▲八坂神社の西楼門
ちなみに私でしたら京都駅から市営地下鉄で四条駅で降りた後、歩いて約15分ほどかけて八坂神社を目指します。
京都で一番の繁華街である四条界隈を歩きながら途中で鴨川や祇園を通ることになるので意外とすぐに八坂神社に行くことができます。
八坂神社の境内は円山公園と繋がっていますので、広い公園でひと休みしながら、坂本龍馬像も一緒に見ていくこともおススメです。
▲円山公園の坂本龍馬像(左)