▲曹源池庭園
天龍寺の歴史について修学旅行レポート。
今回は天龍寺の歴史について。
広大な庭園が見所の天龍寺。
世界遺産にも登録されています♪
①足利尊氏が建てた
②後醍醐天皇を弔うため
③お金は天龍寺船で賄う
④監修は夢窓疎石
▲庭園
足利尊氏はなぜ天龍寺を建てのか?
天龍寺は足利尊氏によって建てられました。
尊氏は金閣寺で有名な足利義満の祖父にあたる。
足利尊氏が天龍寺を建てた理由は。
後醍醐天皇が亡くなったため、彼の死を弔うために天龍寺を建てました。
後醍醐天皇はこの世を恨んで亡くなったため、
死後に怨霊となって足利尊氏や世の中の人々に祟りを起こす恐れがありました。
そうならないように天龍寺のような立派なお寺を建てて、
彼の魂を慰めようにしました。
▲多宝殿に祀られる後醍醐天皇
後醍醐天皇と足利尊氏の関係。
足利尊氏は後醍醐天皇を裏切って室町幕府を設立しましたので。
後醍醐天皇の祟りを恐れていたと言われています。
足利尊氏は鎌倉幕府側の武士として後醍醐天皇の反乱を治めるはずでしたが。
鎌倉幕府を裏切り、後醍醐天皇側について幕府を倒しました。
そのまま尊氏は後醍醐天皇から信頼を得て。
後醍醐天皇の政治を支えていたのですが。
後醍醐天皇が無能だっために今後は後醍醐天皇を裏切り、
後醍醐天皇を京都から奈良の吉野に追い出した経緯があります。
そのため後醍醐天皇は足利尊氏を恨んでいたはずです。
だから尊氏は後醍醐天皇が怨霊になって仕返しをしてこないように。
丁重に後醍醐天皇を弔う必要がありました。
▲庭園
建設費用は天龍寺船で賄う
当時の世の中は怨霊の存在が信じられていた時代。
北野天満宮の菅原道真のように恨みを持って亡くなった人は祟りを起こす。
まして後醍醐天皇は位も高く。
明らかに恨みを持って亡くなったために天龍寺を建てることはすぐ決まりました。
しかし当時は戦争が続きお金がありません。
税金を増やしても戦争続きで払える人もいませんでした。
そこで天龍寺船という仕組みを作って建設費用を捻出しました。
現在の中国にあたる元と貿易をすることを許可制にして。
許可料として一定金額を室町幕府が徴収してお金を集める仕組みになります。
▲足利尊氏肖像画 wikipediaよりお借りしました。
夢窓疎石
天龍寺は足利尊氏が建てたと言いましたが。
尊氏に建てることを勧めた人物に夢窓疎石という僧侶がいます。
尊氏が天龍寺を建てることを指示しましたが。
建物の配置や庭園のデザインは夢窓疎石が監修しました。
▲本堂
御霊信仰
日本ではこの世に無念を残して死んだ方は怨霊となり。
怨霊が世の中に疫病の流行や社会不安を起こすという信仰がありました。
特に天皇や位の高い方が怨霊になると祟りの大きさもスゴイ。
そのため昔から神社に怨霊になられた方を祀り。
その魂を鎮めることが行われてきました。
京都にはそうして建てられた神社がいくつかありますが。
天龍寺のようなお寺は珍しいです。
後醍醐天皇を祀るために武士である足利尊氏が建てた天龍寺。
本来なら朝廷が神社を建てるところ。
当時の幕府と朝廷の力関係を感じます。
天龍寺へのアクセス方法
京都駅からJR嵯峨野線に乗って嵯峨嵐山駅で降りて徒歩10分程で到着です。駅からは観光客の流れについていけば自然と天龍寺に辿り着くと思いますよ。
天龍寺のそばには嵐山のトレードマークとも言える渡月橋がありますので、渡月橋を渡りながら嵐山の景色を満喫することがおススメです。