▲東寺の五重塔
東寺の歴史を修学旅行レポートとして。
こんにちは。
今回は五重塔が目印となっている東寺(とうじ)の歴史について記事にしました。
京都の玄関口である京都駅の南に世界遺産にも登録されている東寺があります。
京都へ新幹線を利用して旅行する際には新幹線の窓から東寺の五重塔が見えると、「京都に着いたー!(^^♪」という実感を得ることができますよね。
東寺は現在から約千年も昔の平安時代に空海(くうかい)という僧侶によって建設されました。東寺を建設する当初は空海とは関係のないお寺を建設する予定でしたが、空海という優秀な僧侶の存在を知った当時の天皇だった嵯峨天皇(さが天皇)は空海の実力に注目し、空海にお寺を建てて欲しいとお願いをして東寺が誕生しました。
東寺の建設当初には西側に西寺という東寺と対になるお寺が建設されていましたが、度重なる火災や戦争によって現在は残っておりません。
一方で東寺も同じように何度も火災や戦争に巻き込まれて倒壊していますが、何度も再建されて現在も姿を留めているのは空海のことを信仰する人がどの時代にも絶えることがなかったからです。
今回は東寺の歴史について担任の先生に提出つもりで記事にしてみました。
▲東寺の南大門
東寺を建てた人物
東寺は正式名称を教王護国寺(きょうおうごこくじ)と言いまして、今から約千年前の平安時代に僧侶の空海によって建設されました。
空海は和歌山県の高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を建設し、真言宗(しんごん宗)と呼ばれる仏教の宗派を設立しました。学校の歴史の授業でも最澄が比叡山に延暦寺を建設して天台宗を設立し、空海は真言宗を設立したとセットで習いましたよね。
空海は若い頃から頭が良くて当時の中国である唐へ留学する僧侶に最澄と共に選抜されて唐に渡り、真言宗を学んで帰国後に真言宗を広めました。
空海は漢方や薬草の知識、建築技術や幅広い学問知識を習得しており、現在のように医学や科学が発達していなかった人達にとっては空海はまるで魔法使いのように人々の病気を治し、立派な寺院を建築して天皇や貴族、庶民から絶大な支持を得ていきました。

▲五重塔
なぜ当時の人々は空海に信頼をおいたのか?
空海が日本で広めた真言宗は密教と呼ばれる秘密の呪文を唱えて人々の願いを叶える力を僧侶は身に付けていました。
密教僧は山の中に篭って厳しい修行を積んで仏様と同等の力を手に入れることを目指したので、普通の人にとって密教僧は独特な雰囲気を纏っており説得力がありました。
そのためお金持ちである貴族や皇室、天皇も密教僧のもとを訪れて自らの願いを叶えてもらおうとしました。
特に当時の天皇である嵯峨天皇は空海のことを手厚く支援し、平安京の玄関口に真言宗のお寺を建設して欲しいと空海にお願いをしました。
空海は高野山の金剛峯寺を真言宗のお寺として建設しましたが、都である平安京にも真言宗寺院である東寺を建設することにしました。
▲東寺の金堂
仏様の力を身に付けた密教僧は大人気となった。
東寺建設後に朝廷は東寺を重要なお寺に格付けして多くの皇室や朝廷の行事を東寺に依頼し、貴族たちもこぞって空海の元を訪ねて自分の出世願望や病気治癒などの願い事を叶えました。
そんな魔法使いのような密教僧は人気を得まして、最澄が設立した天台宗よりも空海の真言宗のほうが発展していくことになったために、最澄の弟子である円珍と円仁は密教を学ぶために急いで唐に渡り天台宗も密教化することになるほどでした。
▲東寺の講堂
密教の繁栄と衰退
密教とは厳しい修行を重ねることで神様仏様と同等の力を身に付けて、秘密の呪文を唱えることで人々の願いを叶えるものです。
空海の真言宗は仏教の中の一つの宗派であり、密教化された宗派になります。最澄の設立した天台宗は最初は密教化されていませんでしたが、最澄の弟子である円珍、円仁の時代から密教化して現在に至ります。
密教の教えは庶民には難しく複雑な雰囲気の漂う神秘的なものでした。密教の世界を表現した曼荼羅や手が何本もある仏像も密教から生まれました。
薄暗いお寺のお堂の中で、ロウソクの火に照らされた神秘的な仏像や、暗闇の中で僧侶が私達には何を言っているのか理解できない呪文を唱える厳かな雰囲気に触れると私達は緊張します。
▲曼荼羅 wikipediaよりお借りしました。
密教僧の豊富な知識
仏様が私の願いを叶えてくれるような気もするけど、効果が無い気もする。。。
しかし山に籠って厳しい修行に勤める僧侶達や空海は大変頭が良くて、薬草の知識や中国の最新の学問や建築技術も取得しており、空海の言葉の全てに説得力があった。
空海に体の調子が悪いことを相談すると、彼が施してくれた密教の呪文と薬草を飲むとたちまち治った人達がたくさんいる。。。空海はやっぱり凄い人だ。
医学や科学が発達していなかった当時の日本の人々にとって、中国の進んだ知識を知っている空海は神様のように見えたのではないでしょうか?
詳しい薬草の知識によって人々の多くの病気を治し、当時の日本の知識では建てることのできない立派なお寺も建てることもできて、学問も優秀であり書道も超一流だった空海。
▲金堂
密教が衰退に向かった理由
しかし私は思う。
空海は密教を上手く利用していかにも密教僧は神様の力を使いこなすことができるような神秘的な雰囲気を演出して、実際には空海の圧倒的な知識によって支えられていたのだと。
密教は平安時代に繁栄をした後、衰退の一途を辿りました。なぜなら多くの人達が神様仏様の存在を信じなくなり、現実的な知識や考え方を知ってしまったからでした。
現代人が厳しい修行によって仏様と同等の力を手にしたという人を見かけたら、多くの人はその人に対して胡散臭さを感じるのではないでしょうか?
しかし当時の社会では多くの人が密教僧の力を信じてしまったのです。
▲講堂の展示品
東寺には密教の世界観を伝える仏像がたくさん展示されていますので、是非東寺を訪れる際は優秀な空海が作りあげた密教の世界を感じてみてください。
東寺へのアクセス方法
京都駅から東寺へは近鉄電車に乗ると1駅で到着することができます。
京都駅から東寺までは乗車時間1分。乗車賃150円。
京都駅から東寺までは歩いていくことも可能ですが、意外と時間がかかります。私の場合は徒歩で20分かかりました。
駅から5重塔の塔が見えるので、すぐに東寺に着くと思っていたのですが、実際に歩いてみると想像よりも時間がかかりました。
また京都駅から東寺の間には特に何もないので、京都らしい町並みが京都駅から東寺まで続いていることを期待する人はがっかりすること間違いありません。
そのため観光客の方は特に京都駅から近鉄電車で東寺まで行くことをおススメします。