▲法堂
相国寺の歴史を修学旅行レポート。
今回は京都にある相国寺(しょうこくじ)の歴史について。
足利義満が建てた相国寺。
当時は高さ100m近くの七重塔がありました。
①足利義満が建てた
②七重塔
③建てた理由
④建設費用はどこから?
▲足利義満肖像画 wikipediaよりお借りしました。
足利義満が建てた
相国寺は足利義満の発案によって建てられました。
足利義満と言えば金閣寺を建てた人物。
相国寺は室町時代の1392年から約10年間の建設期間をかけて1402年に完成。
義満の権力の大きさを示す巨大な寺院。
義満と言えば金閣寺が有名過ぎるのですが。
相国寺の境内の広さには私達現代人も驚くと思います。
ちなみに当時の相国寺は現在の約5倍の広さでした。
▲法堂
七重塔
相国寺の境内には七重塔がありました。
現在は火災により残っていませんが。
高さ約100mに及ぶ七重塔だったと伝わります。
ちなみに京都駅から見える東寺の五重の塔の高さが約56mなので。
もし七重塔が残っていれば京都の観光スポットとして大人気間違い無し。
落雷による火災で再建されずに義満は亡くなりました。
▲法堂
なぜ足利義満は相国寺を建てたのか?
足利義満は室町幕府の三代目将軍であり、初代将軍の足利尊氏の孫に当たります。
義満が将軍という地位に就くことができるのは祖父の尊氏が幕府を設立したおかげ。
そのため義満は祖父のことを尊敬すると同時に、尊氏の精神的な支えとなった禅宗の教えにも深く帰依していました。
そして義満は尊氏に禅宗を教えていた夢窓礎石という僧侶に対しても、幕府設立に大きく貢献した人物として高く評価をしていました。
さらに義満自身も夢窓礎石の弟子である春屋妙葩から禅宗の教えを受けていたのでした。
義満は自身も禅宗に帰依していることもあり、祖父である尊氏を支えた夢窓礎石の功績を称えるために相国寺を建てることを思い立ちました。
義満はその計画を自身が教えを受けている春屋妙葩にも伝え、細かなお寺の構成やどんな建物を建てるかは春屋妙葩に任せて相国寺を建設したのでした。
▲京都御所紫宸殿
義満の天皇に対する姿勢がわかる。
また相国寺は天皇の住まいである京都御所のすぐ北側に位置していることから、当時の義満が天皇よりも権力を持っていることを世の中に示す目的があったとも言われています。
何故なら当時の社会では天皇が一番地位の高い人とされていたので、天皇家よりも豪華で広大な建物は遠慮して建てないのが礼儀なのですが、義満はそんなこと一切無視して京都御所のすぐ側に巨大な相国寺を建てました。
そのことから義満が天皇家を凌ぐ権力を持っていることを堂々と世の中に示したと言えるのです。
▲お金の流れで読む日本の歴史
義満は金閣寺や相国寺を建てるお金をどこから手に入れたのか?
学校の授業でも足利義満は大きな権力とお金を持っている印象を持つ人が多いと思いますが、最初から義満はお金をたくさん持っている訳ではありませんでした。
実は室町幕府はお金をあまり持っておらず、将軍よりも管領と呼ばれる部下達のほうが財産を多く持っていました。
最近読んだ「お金の流れで読む日本の歴史」という本の中で室町幕府の財政状況について述べられていて勉強になりました。
本の内容を詳細に記載することはできないので、ざっくり内容をまとめますと、初代将軍の足利尊氏が室町幕府を設立する過程において、多くの武士達を味方に付けるために尊氏は自身が持つお金や土地を武士達に与えたそうです。
そのため将軍自身は財産の少ない状態で幕府が設立されたとのことです。
▲相国寺境内
実はお金がなかった室町幕府
つまり将軍と言えば、武士の頂点であり将軍の言うことを武士達は必ず聞くイメージがありますが、室町幕府はもし部下達が武器を持って立ち上がれば将軍と言えども首を取られてしまうという不安定な組織でした。
実際に義満の息子に当たる六代目将軍の足利義教は部下の赤松満祐の反感を買って殺されてしまっており、将軍が部下に殺されるなんて将軍家としては恥ずかしいことです。
義満は上手く部下達を抑えることができましたが、義満以降の将軍達は部下を抑えることができずに権力を低下させていきました。
▲法堂は鳴き龍の天井があることで有名
義満による部下達を抑える工夫
しかし義満は部下達よりも優位な立場に立つために工夫をします。
ひとつは京都のお金持ちである商人たちから税金を取ること、そして現在の中国に当たる明との貿易である日明貿易の利益を独占することによって部下達よりも莫大なお金を手に入れることに成功します。
またその勢いで有力な部下である山名氏や大内氏を倒して土地も奪うことにも成功します。それによりお金だけは部下達にも劣らない金額を手に入れたことで、金閣寺や相国寺などの巨大寺院を建設することができたのでした。
▲雪舟の水墨画 wikipediaよりお借りしました。
相国寺の文化的価値
相国寺は当時の最先端な学問を学ぶ場所でもありました。
禅宗を学ぶ僧侶達は中国語で書かれた書物を読んで勉強し、日本よりも発展していた中国から多くのことを学んでいました。
また相国寺の僧侶達は中国語を話すことができたので日明貿易の際には通訳としても活躍し、中国の新しい学問や文化を一早く取り入れて国内に発信する機能を持ちました。
▲如拙の水墨画 wikipediaよりお借りしました。
水墨画で有名な雪舟も相国寺の流れを受け継ぐ僧侶として知られています。
雪舟は相国寺の僧侶であり水墨画を確立した如拙の弟子として、水墨画の本場である中国でも高い評価を受ける程の作品を残したことで知られています。学校の授業でも水墨画と言えば雪舟と習いましたよね。
相国寺に務める僧侶達は禅宗を学びながらも、芸術などの文化面において日本の文化の発展に貢献してきたのです。
京都旅行で金閣寺を訪れる際は、足利義満とゆかりのある相国寺にも足を運んでみることもおススメです。
相国寺へのアクセス方法
相国寺は市営地下鉄の今出川駅から徒歩5分ほどの場所にあります。
京都駅から市営地下鉄に乗って今出川駅まで5駅。乗車時間10分。乗車賃260円です。
今出川駅には京都御所や護王神社、上御霊神社、白峯神宮、清明神社、世界遺産の下鴨神社まで歩いて観光できる場所にありますので相国寺を見終わった後に訪れると良いです。