▲錦天満宮前
錦天満宮の歴史修学旅行レポート
今回は錦天満宮の歴史について。
錦天満宮(にしきてんまんぐう)は錦市場の東端にある神社。
錦市場は京都の台所と呼ばれるほどの大きな商店街です。
①元は菅原道真の父の家
②豊臣秀吉によって移動
③商売の神様として
▲本殿
元は菅原是善の家
錦天満宮の始まりは平安時代。
学問の神様として知られる菅原道真の父、菅原是善の家が元になっています。
是善が亡くなった後はその土地にお寺が建ち(歓喜寺)、その後に何度か移転した後に1587年豊臣秀吉の都市計画の一環で現在の場所に移管されました。
▲錦市場
豊臣秀吉の都市計画によって現在の地へ
現在の京都にはいくつか豊臣秀吉が遺した爪痕がありますが、錦天満宮はそのうちの1つ。
秀吉は京都の防衛力を高めるために街全体を塀で覆う政策を行うなど、現在の京都の街に続く道路造りなども行いました。
街全体を覆う塀の内側を洛中、外側を洛外と呼ぶようになったのもこの時からだそうで、現在も同じ京都市内でも洛中or洛外かでマウント取り合戦が行われます。
錦天満宮の1本隣の道は寺町通ですし、
反対側にはお寺が現在もギュギュっと集まっています。
▲新京極商店街沿いに位置する
学問の神様の前は商売の神様だった菅原道真
錦天満宮は天満宮の名前の通り菅原道真が神様として祀られています。
菅原道真と言えば学問の神様として有名ですが、学問の神様よりも商売の神様として信仰されてきた歴史が長いそうです。
道真が学問の神様として信仰されるのは江戸時代からで、それ以前は庶民の味方、商売の神様として支持されていました。
▲夜は提灯
市民の味方から神様へ
道真は悪事を許せない人だったそうで、藤原氏が今まで得て来た特権、裏金などをどんどん暴いたと言われています。
そのため菅原道真の存在が邪魔と思う貴族がたくさんいましたので、最後は藤原氏によって大宰府に左遷されてしまいました。
逆に国民には道真は支持されており、道真を神様に崇める人がたくさんいたおかげで現在の天満宮信仰があります。
昔は京都以外の市場がある場所には天満宮があるところもあり、商売の神様として天満宮は祀られてきた歴史があります。
錦天満宮はその名残を残す神社。
目の前の錦市場を見守るような位置にあるのが印象的です。
錦天満宮へのアクセス方法
京都駅から錦天満宮へは地下鉄で行くことをオススメします。
錦天満宮は錦市場の東の端にありますが、反対側の西の端には地下鉄の四条駅から徒歩5分ほどで行くことができます。
錦天満宮に行く前に錦市場で食べ歩きして、最後に錦市場に寄れば良いかと。
わざわざ他県から錦天満宮を訪れる人はいなくて、錦市場で食べ歩きすることが目的な方がほとんどだと思います。(^^♪
(京都駅から四条駅まで2駅。乗車時間3分。乗車賃:210円)