京都の歴史修学旅行レポート

清水寺の歴史を修学旅行レポートにて提出致します。

清水寺の舞台

清水寺本堂夜
▲夕方の清水寺の本堂

清水寺の歴史を修学旅行レポートにて。

こんにちは。
今回は清水寺の歴史について記事にしました。

日本人であれば清水寺の存在を知らない人はきっといないでしょう。
名前を聞いたことがなくても、清水寺の舞台の写真や映像を一度は見たことがあるはず。
清水寺は世界遺産にも登録されている文化遺産であり、日本人だけでなく外国人観光客で毎日とても混雑しています。最近では清水寺を訪れる観光客は日本人よりも外国人観光客のほうが圧倒的に多い印象です。

また清水寺に通じる道や二年坂や三年坂と呼ばれる京都らしい景色を持つ坂道、お土産屋さんの前にも多くの外国人観光客で溢れており、外国人観光客の多さにきっと驚きます。
二年坂前のスタバ
▲混雑する二年坂前 左側にスターバックス二年坂店がオープン。

初めて京都へ旅行する際には、とりあえず清水寺か金閣寺が旅行先候補として頭に浮かぶ人が多いかと思います。特にこの2つの観光名所は京都を代表する場所だけあって、京都へ旅行をしてきたという達成感も高く、友達や会社の同僚にも京都旅行をしたという会話もしやすいですよね。

しかし清水寺の歴史について何か知っていることはほとんど無いのが普通ではないでしょうか?
今回は清水寺の歴史について学校の担任の先生に修学旅行レポートを提出するつもりで記事にしてみました。

清水寺仁王門
▲清水寺の仁王門

誰が清水寺を建てのか?

清水寺は奈良時代から平安時代に活躍した武士の坂上田村麻呂によって建てられました。
坂上田村麻呂と言えば、征夷大将軍に任命されて現在の東北地方を支配していた蝦夷と呼ばれる民族と戦って勝利し、朝廷による東北地方支配を発展させた人物として知られています。
学校の歴史の教科書でも坂上田村麻呂が蝦夷を倒すために戦ったことは習いましたよね。

現在の清水寺のある土地には、日本の首都が京都の平安京に遷る前から清水寺の前身に当たる小さなお寺が建ち、賢心という僧侶が修行を行っていました。
そこへ鹿を狩るために坂上田村麻呂がやって来て賢心と出会い、賢心は坂上田村麻呂にこのような神聖な場所で動物の命を奪う狩りをしてはいけないと説きました。
その際に坂上田村麻呂は仏教の教えや賢心の知識の深さ、人格の高さに敬意を抱き、賢心を支援して現在の清水寺のように大改築を行いました。

清水の舞台を下から見上げる
▲清水の舞台を下から見上げる。

観音信仰地として清水寺は京都の人々から愛されてきた。

清水寺には観音像が本尊として祀られており、古代から多くの人が信仰で訪れました。
本尊(ほんぞん)とは各お寺において、最も大切にされている仏像などのことです。

仏教の世界では色んな種類の仏像がありますが、観音は女性的な表情をしていることが特徴的であり、大昔より人々の願いを叶えてくれる存在として信仰されてきました。
清水寺から眺める京都市内
▲清水寺から眺める京都市内と京都タワー

京都市内は東山から日が昇る

清水寺は京都の町から見て東の方角にあり、山の上に境内があります。
京都は山に囲まれた盆地に町が発達しており、朝日が東側に連なる山々から照らされます。

私達日本人は古代から自然を大切にし、自然と共に生活をしてきたことから、特に豊かな水を運んでくれる川の上流にある山には神様が住んでいると考えてきました。
そしてそのような山の上に女神のような観音様が人々の願いを叶えてくれる存在として現れれば、大昔の京都の人達が清水寺を訪れるようになるのも当然の流れでした。

人々の篤い信仰心のおかげにより、清水寺は幾度となく火災に遭いながらも現在もその姿を留め、京都だけでなく多くの日本人や外国人観光客からも愛され続けています。

清水寺阿弖流為石碑
▲境内には阿弖流為の石碑 誰もこの石碑の前で足を止めない。

阿弖流為(あてるい)と坂上田村麻呂。

清水寺の舞台の下には音羽の滝と呼ばれるご利益のある小さな滝があり、ご利益を得ようと多くの観光客が行列を成してその水を得ようとしています。その音羽の滝の行列とは打って変わって誰も気に留めない、阿弖流為と刻まれた石碑が静かに音羽の滝の近くに建っています。

阿弖流為とは坂上田村麻呂が征夷大将軍として東北地方を制圧した際に戦った敵側の大将です。
当時の東北地方は朝廷の支配が及んでいない地域であり、朝廷としては長年支配下に治めたい場所でした。
朝廷の支配が及んでいないとは、朝廷に対して税金を納める必要も無く、朝廷とは独立した政治を行っているということです。
音羽の滝
▲音羽の滝 右から長生き、恋愛成就、学業成就のご利益がある。

貴族達が優雅な生活を送るための侵略

平安時代と言えば、源氏物語や藤原道長などの貴族達が豪華で優雅な生活を送っていたイメージを持っている人が多いと思いますが、その優雅な生活は地方から徴収した税金によって支えられていました。

そのため朝廷にとっては東北地方を新たに支配下に置くことで、東北地方で暮らす人達から税金を徴収することができます。
しかし東北地方には蝦夷と呼ばれる民族が支配しており、朝廷からの支配に対して古代より反抗してきました。朝廷としては強引にでも蝦夷達を屈服させて、自分達がさらなる優雅な生活を営むことを望みました。

そこで登場したのが坂上田村麻呂です。坂上田村麻呂は当時では有名な武人であり、体格も大きく負け知らずの大変強いことで知られていました。
朝廷は坂上田村麻呂を征夷大将軍(征夷とは東の敵を征伐するという意味があります)に指名して東北地方の蝦夷達を滅ぼすために戦に出ます。
清水寺の舞台
▲清水寺本堂は現在改修中。残念ながら2020年までこの状態が続く見込み。

坂上田村麻呂の葛藤

しかし坂上田村麻呂は阿弖流為と戦う間に、朝廷のやり方に疑問を持っていました。
自分達が豊かな生活を送りたいがために、蝦夷には多く血が流れていく。
阿弖流為たちが勇敢に立ち向かってくれば来るほど、坂上田村麻呂は阿弖流為に敬意と戦う目的に疑問を持つようになりました。

だからこそ阿弖流為が坂上田村麻呂に対して降参してきた際に処刑せずに、朝廷と会話するために阿弖流為を京都まで連れていきました。
しかし朝廷は協調政策を否定し、蝦夷は滅ぼすべきという選択をして阿弖流為は無残にも処刑されてしまいました。

坂上田村麻呂にとっては心が痛む出来事となり、賢心によって殺生の罪を学んだことを活かすことはできませんでした。
観光客で賑わう清水寺には、学校の教科書では習わない悲しい歴史がありました。

清水寺へのアクセス方法

京都駅から清水寺へ行くにはバスに乗るのが迷うことのない方法です。
(下車駅:五条坂駅 乗車時間:約15分 乗車賃:230円)
京都駅前にはバスターミナルがあり、行き先毎にバス停が並んでいますので「清水寺行き」と書かれたバス停からバスに乗りましょう。
降りる際にもバスの運転手さんから「清水寺へ向かう方はここで降りて下さい」と車内アナウンスもありますので乗り過ごすことも無いかと思います。

バス停から清水寺まではひたすら登り坂になっていますので、約15分くらいは軽く山登りをする心構えで靴も選んだほうが良いと思います。