京都の歴史修学旅行レポート

金閣寺の歴史|日明貿易の利益により足利義満が建てた修学旅行レポート

金閣の頭

金閣寺舎利殿
▲金閣

金閣寺の歴史の修学旅行レポート。

今回は金閣寺の歴史について。

京都を代表する観光名所の金閣寺。
足利義満が建てました。

金閣寺の歴史

①室町時代。
②足利義満が建てた。
③金閣の目的。
④お金は貿易と商人から徴収
⑤息子が壊す
⑥貴族と武士を超えた存在に

金閣の鳳凰像
▲金閣の鳳凰像

室町幕府3代将軍の足利義満が建てた

金閣寺は室町幕府三代目将軍である足利義満によって建てられました。
建設当時から金閣は名前の通り金箔が貼られており。
当時のお寺の常識をぶっ壊すものでした。

足利義満は金閣寺を建てる前に相国寺という巨大寺院を建てていますが。
さらに金閣寺を建てることで。
義満の財力、天皇も超える権力を世の中に見せつけました。

金閣と鏡湖池
▲金閣と鏡湖池

金閣の目的

現在の金閣寺は当時よりも大幅に敷地面積や建物が失われていますが。
当時は義満が生活する建物や政治や仕事を行う建物、
義満の奥さんである日野康子が住む建物、
なぜか天皇の母親が生活する建物もある巨大施設でした。

金閣寺はただのお寺ではなく。
日本の政治の中心であり、義満の家でもありました。

さらに義満の部下達も近くに家を建てましたので。
人の行き来も大変なものだったことが予想できます。

足利義満肖像画
▲義満肖像画

金閣寺を建てたお金は日明貿易の利益

足利義満は金閣寺を建てたことで有名ですが。
金閣寺以外にも相国寺や、花の御所と呼ばれる豪華な義満の家など建てたり。
伊勢神宮や興福寺などに莫大なお金を寄付するなど。
当時としては随分と派手な生活をしていました。

義満はどうしてそんなにお金を持っていたのでしょうか?
1つは義満は京都の商人や町人を保護する名目で京都に住む人達に高い税金を課しました。
当時の京都は天皇や朝廷が税金を徴収していたのですが。
義満は彼らから徴税権を奪って自分の元にお金が集まるようにしました。

また当時の中国である明(みん)との貿易を義満は独占。
日明貿易の利益も義満の元に集まるようにしました。

さらに義満は自分の敵となる勢力を倒して相手の土地を奪い。
自分の土地を拡大することにも積極的でした。

足利義持肖像画
▲足利義持(wikipedia)

義持による金閣寺の破壊と縮小

一説には義満は自分が天皇になる、息子の義嗣を天皇にする計画だったと言われるほど。
武士という立場を超えて、天皇になれるほどの権力を手にしたのですが。
病気であっという間に亡くなります。

ほとんど義嗣が次の天皇になりそうなタイミングでしたが。
もう1人の息子、義持が中心となって義嗣は表舞台から引きずり降ろされることになり。
義持は義嗣は殺してしまいました。

さらに義持は北山第を金閣寺を残して取り壊し。
日明貿易は明を日本の上位に位置付けた朝貢形式のため日本の品位を下げることになるという理由から日明貿易も辞めてしまったのです。

金閣の建築様式
▲金閣舎利殿

金閣寺の特徴的な建築様式

金閣は三階建てとなっており、各階がそれぞれ違う建築様式となっています。
一階は当時の貴族達の間で使われていた寝殿造(しんでんづくり)
二階は武士達の間で使われていた武家造
三階は禅宗寺院で使われていた禅宗様で作られていることが特徴となっています。

一般的にはこの金閣寺の独特な建築様式について。
義満が多くの文化を取り入れようとした意思の表れ。
義満の文化に対する柔軟性。
新しい文化を創ろうとした野心的なものとして評価されています。

金閣寺への行き方

京都駅から金閣寺へはバスで行くのが迷わない方法です。
京都駅前のバスターミナルから金閣寺行きのバスに乗れば到着です。
乗車時間:35分 乗車賃:230円

金閣寺の近くには世界遺産の仁和寺(にんなじ)と石庭で有名な竜安寺(りょうあんじ)がありますので、一気に世界遺産を三つ巡ることができます。