京都の歴史修学旅行レポート

高桐院の歴史|細川藤孝の菩提寺であり息子の忠興が建てた

高桐院参道

高桐院庭園
▲庭園

高桐院の歴史を修学旅行レポート

今回は高桐院の歴史について。

大徳寺の塔頭の1つである高桐院。
美しい参道が見所です。

高桐院の歴史

①細川忠興が建てた
②父親の藤孝を弔うため
③明智光秀との深い関係
④なぜ藤孝は光秀を裏切ったのか
⑤感想

高桐院の茶室
▲茶室

細川忠興が建てた

高桐院は細川忠興によって建てられました。
徳川家康の部下として活躍した戦国武将として有名な人物です。

忠興は千利休の弟子という一面も持つ武将で、
千利休ゆかりの大徳寺の一角に高桐院を建てました。

千利休のことをよく知らない方でも
高桐院の参道を見た瞬間に侘び寂びの美しさ体験できます。

父親の藤孝の菩提寺として建てた

忠興が高桐院を建てた目的が父親である藤孝を弔うためでした。
そのため高桐院は細川家の菩提寺となっています。

ちなみに細川家は現在も脈々と子孫が続いておりまして、
1993年に第79代総理大臣を務めた細川護煕は細川藤孝や忠興の子孫になります。

高桐院参道苔と竹林
▲参道

光秀と藤孝の親しい関係

細川藤孝は学校の教科書にも登場しないような人物ですが
明智光秀とは親しい繋がりがあり、
もしも本能寺の変で藤孝が光秀に手を貸していたら、
光秀は敗れなかったとも言われています。

ざっくり言ってしまうと
足利義昭の部下だった細川藤孝のさらに部下が明智光秀でした。

ところが明智光秀はある時から織田信長の部下になり、
信長が足利義昭を追放してしまった後は
明智光秀の部下として細川藤孝は信長の配下になります。

さらに明智光秀の娘である玉と、
細川藤孝の息子である忠興は結婚しますので
明智家と細川家は親戚でもありました。

高桐院方丈
▲庭園

本能寺の変が成功する鍵を握った人物

藤孝と光秀は親戚関係でしたが、
本能寺の変の後で光秀が豊臣秀吉と戦った際に
藤孝は光秀の味方として参戦しませんでした。

光秀は藤孝も一緒に戦ってくれると計算して本能寺の変を起こしたはずですが
藤孝は光秀からの手紙を無視しました。

一説には藤孝が光秀に味方すれば歴史は変わっていたとも言われています。

参考文献

高桐院の歴史について知りたいと思ったきっかけが
完全版 本能寺の変 431年目の真実 (河出文庫 あ 31-1)」という本を読んだからです。

明智光秀の子孫の方が書いた本になりまして
本能寺の変の真相に迫った非常に面白い傑作だと私は思っています。
そしてこの本で細川藤孝が登場するのですが
先に述べた光秀との親戚関係について初めて知りました。

それで細川藤孝について興味を持つようになったのですが、
他にも「信長の原理 上 (角川文庫)」「光秀の定理 (角川文庫)
という歴史小説の中にも細川藤孝は登場し、
本能寺の変が失敗したのは細川藤孝が光秀の味方をしなかったことが
一因と思えてしまうほどの重要人物ということを知りました。

詳しい内容はネタバレになるので言えませんが、
読んだことある方がいたら語り合いたいです♪

歴史を語れる人が身近にいないので、
詳しい方がいたら教えて頂きたいです。

高桐院へのアクセス方法

京都駅から市営地下鉄に乗り北大路駅で降りて、大徳寺駅行きのバスで大徳寺前で降りると到着です。
高桐院は大徳寺の塔頭なので大徳寺の境内の中にあります。
京都駅から北大路駅までは7駅。乗車時間13分。乗車賃260円。
北大路駅からバスで大徳寺前までは3駅。乗車時間5分。乗車賃230円です。