▲本殿
北野天満宮の歴史|修学旅行レポート
今回は学問の神様として有名な北野天満宮の歴史レポート。
平安時代に実在した菅原道真が神様として祀られています。
神社に人間が祀られた初めての神社です。
①神様は菅原道真
②菅原道真死後に建てられた
③菅原道真と関係ない人が建てた
④江戸時代から学問の神様に
▲本殿
日本で初めて人間が神様として祀られた神社
北野天満宮の特徴は日本で初めて実在した人間が祀られていることです。
現在では日本各地に神様として人間が祀られた神社がありますが。
平安時代に活躍した菅原道真が最初の例になります。
学校の授業や教科書では。
菅原道真は大変に頭が良く。
藤原氏だけに許された右大臣にまで出世したけども。
左大臣の藤原時平の陰謀によって九州の大宰府に左遷。
そして九州で静かに死んだ。。。
そんな菅原道真の話を授業で習ったことを覚えています。
▲清涼殿落雷事件
菅原道真の祟りに怯える人々
菅原道真のように無実でありながら。
あらぬ罪をかけられて左遷されたり、暗殺される人は当時はたくさんいましたが。
菅原道真だけが神様になった理由は、その祟りが強烈だったからでした。
道真が九州で亡くなると。
京都では雨が降らなくて作物の収穫量が減り。
疫病が流行して大勢の人が亡くなりました。
さらに陰謀の首謀者である藤原時平が39歳の若さで急死。
都では大火災も発生。
さらに当時の天皇も疫病に罹り。
皇太子である保明親王も急死。
そして有名な紫宸殿落雷事件が発生。
その数日後には醍醐天皇も亡くなりまして。
菅原道真の祟りがヤバ過ぎる!?
あまりの不幸の出来事の連続に人々は恐怖しました。
▲もみじ苑
謎の女性の多治比文子にお告げ
菅原道真が亡くなってから約40年後。
京都に住む多治比文子という女性に「菅原道真を北野に祀れ」という
神のお告げがあったそうです。
この神のお告げで文子は現在の北野天満宮のある場所に小さな祠を作り。
この祠をきっかけに現在の北野天満宮が建てられます。
そして人間である菅原道真が神として祀られる神社が誕生しました。
▲本殿
菅原道真の生前には縁もゆかりも無い場所
北野天満宮が建てられた経緯を聞いて思うのが。
北野天満宮のある土地や建てた人は菅原道真と関係がない。
現在では多治比文子は巫女だったと考えられていますが。
北野天満宮の建設には滋賀の神社関係者、近所のお寺が協力したと伝わります。
それが何を示すかと言うと。
最初に北野天満宮を建てたのが朝廷や貴族ではなく。
普通の人達だったということ。
祟りを恐れた貴族ではなく、一般市民によって菅原道真が慕われてたということです。
▲もみじ苑
豊臣秀吉による北野大茶湯の開催地
建設の経緯は少し不思議な部分がありますが。
建設以降は北野天満宮は多くの人に親しまれています。
ちなみに時代は移りますが。
豊臣秀吉が黄金で作られた茶室を用意するなど。
北野大茶湯が開催されたのも北野天満宮でした。
現在の社殿は豊臣秀頼が再建したもので国宝指定。
▲一の鳥居
菅原道真が学問の神様として親しまれるようになったは江戸時代から
現在では菅原道真は学問の神様や受験合格のご利益がある存在ですが。
江戸時代頃までは商売の神様として信仰されていました。
先程述べた通り道真は左遷された恨みから祟りをする恐怖の存在として、死後は世の中にデビュー(笑)していたので、学問の神様なんて優しい存在ではありませんでした。
しかし朝廷関係者以外の人達は道真は藤原氏の不正に挑み、世の中を良くしようと努めていたことを知っていたことから、庶民や商人たちからは尊敬されていました。
そのため道真が亡くなると多くの庶民から商売の神様として祀られていました。
戦国時代の豊臣秀吉が天下を治めた頃に北野天満宮で北野大茶会と呼ばれる盛大なお茶会が開かれたことが示すように、庶民からも親しまれる神様だったことが伺えます。
祟りをする恐怖の人物が祀られている場所で、普通お茶会なんてしませんからね。
▲お金の流れで読む日本の歴史
菅原道真が左遷された本当の理由。
最近「お金の流れで読む日本の歴史」という本を読んだのですが、本の中で菅原道真が左遷された本当の理由という目次で2,3ページほど興味深い記載がありました。
ざっくり内容をまとめますと、菅原道真と道真を重宝した宇多天皇が実施しようとしていた土地制度改革を実行すると、藤原氏や他の貴族達の財産やお金が減ってしまうことから、その制度改革を阻止するために藤原氏によって道真は陰謀によって消されたとのことです。
平安時代よりも昔に実施された大化の改新によって、日本の土地は全て国が所有と管理をすることになり、国司と呼ばれる機関が地方に設置されて地方から税金を徴収する仕組みが完成しました。
▲北野天満宮境内
良い政治を目指す道真と不正を良しとする藤原氏
しかし道真が生きた時代になると国司が地方で徴収した税金を自分のものにしたり、京都に住む貴族と国司が癒着をするようになり、本当なら国に集まる税金がいつの間にか京都の貴族達に流れるようになってしまっていました。
その状態に危機感を持ったのが宇多天皇でした。
きちんと国に税金が集まるように改善したいけれども、悪いことをしてお金を手に入れている当の本人である藤原氏や貴族達が自らその体制を変えようとはしません。
そこで宇多天皇が目を付けたのが菅原道真でした。道真が優秀な人物であることは当時の世の中では有名でしたし、道真自身も現在の香川県である讃岐の国司を務めた経験もあり、地方の状態にも精通していました。(ちなみに道真は国司時代に悪いことはしておらず、地方と京都の貴族達の実態を問題視していたと言われています。)
そして宇多天皇と菅原道真がタッグを組んで、不正にお金儲けをしている藤原氏に戦いを挑んだのです。
しかし改革は道半ばで藤原氏によって阻止されてしまいました。これが道真が左遷された本当の理由とのことです。
本にはより詳しく、わかりやすく書かれているので学校の教科書にも採用して欲しいと思いました。(^^;)今も昔も政治とお金の問題は変わっていないのかと思いました。(笑)
北野天満宮へのアクセス方法
京都駅から北野天満宮方面に向かうバスに乗るのが最も簡単です。
ただし私は京都で渋滞や満員バスに巻き込まれるのが本当に嫌なので、京都駅から市営地下鉄で今出川駅まで行った後にバスで北野天満宮まで向かうことが多いです。
北野天満宮を見終わった後は金閣寺方面に行くか今出川まで戻って京都御所や足利義満が建てたことで知られる相国寺、京都御所から世界遺産の下鴨神社まで歩いていくのもおすすめ。