京都の歴史修学旅行レポート

桂小五郎寓居跡(対馬宗氏屋敷跡)|池田屋から脱出した足跡を追う

桂小五郎寓居跡

池田屋
▲池田屋

桂小五郎寓居跡|池田屋事件から逃げた桂小五郎

今回は桂小五郎寓居跡について。

三条通から木屋町通を北へ進むとすぐに桂小五郎寓居跡と書かれた石碑があります。

後の木戸孝允こと桂小五郎と石碑の関係について調べてみました。

池田屋事件に巻き込まれていた事実

まず動画を見て頂けると現地の雰囲気が伝わると思います。

京都は街に石碑が至る所に立っていまして、中でも木屋町通沿いは幕末ゆかりの石碑が集中しています。

今回ご紹介する桂小五郎寓居跡は池田屋事件で新撰組に襲撃された桂小五郎が、この地で難を逃れたことを現在に伝えます。

この石碑を見て初めて桂小五郎が池田屋にいたことを知りました。

高瀬川の桜(木屋町通)
▲春の高瀬川

屋根に上って脱出

新撰組が最も活躍した出来事が池田屋事件だと思います。

桂小五郎は新撰組に襲撃された側、新撰組と敵対する立場の人間でした。新撰組の敵ということは江戸幕府の敵でもあり、明治政府の中心人物になった人です。

学校の教科書に太字で登場する人物が実は池田屋事件の中にいたのです。

新撰組に桂小五郎が所属する長州藩の人間が逮捕されてしまい、彼を新撰組から今すぐ奪還するか?しないかを仲間内で話し合うために関係者が池田屋に集まっていました。

その情報を聞きつけた新撰組が池田屋に乗り込み、歴史に名を残す池田屋事件が勃発しました。

池田屋事件では襲撃された側で多数の死傷者が発生しており、そんな修羅場の中を桂小五郎は池田屋の屋根に登り、屋根の上から脱出したのです。

桂小五郎寓居跡
▲石碑

対馬宗氏屋敷跡

石碑には桂小五郎寓居跡と併記して「対馬宗氏屋敷跡」と刻まれています。

桂小五郎は長州藩所属ですが、ここ宗氏屋敷には何度も通っていました。長州藩と対馬藩が友好関係にあったので、桂は京都の活動拠点の1つとして利用していたのです。

そのおかげで池田屋事件の際に、長州藩邸ではなく近くの対馬屋敷に身を隠すことができたのです。

長州藩邸に行く道中は新撰組も待ち伏せしていたため、宗氏屋敷にいたからこそ桂小五郎は命拾いしました。

後に明治三傑の1人とされた桂小五郎が、絶体絶命のピンチの場面で生き延びることができた場所と考えれば、石碑が立っても納得ですね。

桂小五郎寓居跡へのアクセス方法

石碑は木屋町通と姉小路通の交差点にあります。京都駅から地下鉄で京都市役所前駅で降りたら徒歩5分ほどで到着です。