京都の歴史修学旅行レポート

旧二条城跡の歴史|織田信長が建てて解体したお城

旧二条城跡石碑

平安女学院中学校の旧二条城跡石碑
▲旧二条城跡に建つ平安女学院中学校

旧二条城跡|信長が建てたお城

今回は旧二条城跡の歴史について

旧二条城は織田信長が建てたお城。
足利義昭のために建設されました。

旧二条城跡の歴史

①織田信長が建てた
②足利義昭の安全のため
③石仏を石垣に使用
④現在は平安女学院中学校
⑤感想

旧二条城跡石碑
▲旧二条城跡

織田信長が足利義昭のために建設

京都御所の西、平安女学院中学・高校のある場所に旧二条城がありました。
残念ながら現在は石碑が1本だけ立ってるのみ
旧二条城跡と記された石碑がポツンとあるだけとなっています。

旧二条城は織田信長が建てた建物で、
当時の室町幕府将軍、足利義昭が暮らす住まいとして建てられました。

足利義昭は将軍でありながらも
三好三人衆などの力のある武将から襲撃されるなど立場が盤石でありません。
そのために織田信長に助けを求め、信長も義昭の要望に応えました。

石仏を使って石垣を築く

足利義昭の家と言いましても、
家の周囲には二重の堀が備えられ、
敵からの攻撃にも対抗できる造りだったと言われています。

旧二条城を作る際の有名な話として、
ただの石だけでなく石仏を石垣に使ったことも知られています。

石仏も石で作られているから合理的ではありますが、
信長が神仏を信じていないエピソードとして語られる話の1つですよね。

最後は信長が解体した

最後は信長が解体する
せっかく建てた旧二条城でしたが、
最後は信長によって解体されました。

足利義昭は最後には信長を倒す方針に転換したため、
信長と敵対したことで京都から追放されました。

信長が義昭と戦うために京都に来た際は、
知恩院に信長軍を布陣させ、降伏しないなら街を焼くと脅しました。
義昭は脅すための嘘と思って拒否したら、
信長軍は本当に旧二条城周りの街を焼いてしまったエピソードが残っています。

主である足利義昭がいなくなった後は解体されまして、
使える資材は安土城に転用されました。

感想

わざわざ石碑しか残っていない旧二条城を訪れようと思ったのは、
信長の原理 上 (角川文庫)」という歴史小説を読みまして
京都にある信長とゆかりのある場所を見てみたいと思ったからでした。


延暦寺だけでなく京都の街まで焼き打ちにしてたりと
残虐性のあるエピソードが多くある一方で、
常識にとらわれないカリスマ性に惹かれてしまいます。

残念ながら京都には現存してる史跡は少ない認識ですが、
色々と見て回りたいと思っています。

もし他にも信長関連の史跡をご存知の方がいましたら、
是非教えて頂けると嬉しいです。

旧二条城跡へのアクセス方法

平安女学院中学・高校に石碑が立っています。
地下鉄の丸太町駅から徒歩5分ほど。
烏丸丸太町交差点を北へ進み、菅原院天満宮神社で西へ曲がるとすぐ到着です。
(京都駅から丸太町駅まで乗車時間:約7分 乗車賃:260円)