▲千本鳥居
伏見稲荷大社の歴史修学旅行レポート
今回は伏見稲荷大社の歴史について。
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都で屈指の観光地。
千本鳥居が見所です♪
①平安京以前から存在
②秦氏が建てた
③楼門は豊臣秀吉再建
④稲作の神様から商売の神様へ
▲楼門前
誰が伏見稲荷大社を建てのか?|秦氏
伏見稲荷大社は平安京以前よりこの地にある古い神社。
京都とはゆかりの深い秦氏が建てたと伝わります。
秦氏は嵐山エリア、太秦エリア、伏見稲荷エリアを開拓してきた一族。
中国大陸から日本に渡って来た渡来人と考えられています。
服や布を作る機織り技術や、お寺や川の氾濫を防ぐ防波堤を建設する技術、
お酒を作る技術を持っていることで朝廷から優遇されていまして。
伏見稲荷大社のあるエリアは深草屯倉と呼ばれる朝廷が管理する土地でしたが。
秦氏が深草屯倉を管理することを任されていました。
勝手に住み着いていた訳ではなく。
朝廷の許可を得て京都で暮らし、土地開発をした秦氏。
伏見稲荷大社もその一つです。
▲本殿
清少納言や豊臣秀吉とのゆかり
現在の伏見稲荷大社は京都を代表する観光地の1つ。
土日はものすごく混雑する人気スポット。
千本鳥居は江戸時代以降に出現したと考えられていますが。
枕草子の作者である清少納言が伏見稲荷大社を訪れた日記があり、
平安時代から多くの人がお参りに来る有名な神社だったことが伺えます。
また現在の楼門は豊臣秀吉が再建していまして。
学校の教科書に登場する歴史人物とのゆかりもあります。
▲千本鳥居の中
ご利益は商売繁盛
幻想的な千本鳥居を目当てに多くの観光客で賑わいますが。
特にお正月は京都で一番の参拝客数を誇ります。
その理由は伏見稲荷大社は商売の神様として有名だからです。
京都だけでなく関西圏の人からも信仰されています。
正月休み明けの初出勤日には。
多くの関西圏の企業の方々が「新しい一年が商売繁盛しますように」と。
伏見稲荷にお参りにやってきます。
▲一ノ峰には注連縄の撒かれた大きな岩が鎮座。
初めから商売の神様だったわけではない。
現在は商売の神様として信仰されていますが。
最初は五穀豊穣、食物の豊作を叶える神様としてスタートしています。
稲荷という名前の通り、稲作の神として祀られてきました。
商売の神として祀られて始めたのは江戸時代以降と言われています。
▲頂上の一ノ峰
古代から続く神社の形
ちなみに伏見稲荷大社は後ろの稲荷山の頂上まで登ることができますが。
頂上に当たる一ノ峰には大きな岩が祀られています。
古代から日本人は自然の中に神様が住んでいると考えてきたので。
神様のような巨大な存在が自分達を豊かにしてくれると信じていました。
でも神様が姿を現すことありません。
だからその代わり神様が住んでいると考えられていた山や海、自然の深い場所や大きな岩や石を祀るようにしたのです。
永遠に続く鳥居に注目されてしまいますが。
神社の原形をかすかに残すところも見所です。
▲山頂付近の光景
千本鳥居ができたのは江戸時代から。
伏見稲荷大社は長い歴史を持ちますが、千本鳥居ができ始めたのは江戸時代以降だと言われています。
戦国時代を経て江戸時代になると国内の治安も良くなり、多くの人が旅行を楽しめるようになりました。
そして伏見稲荷大社を訪れた人の間で、神社にお参りをして願いを叶えた人がそのお礼に鳥居を奉納する習慣が生まれたそうです。
▲千本鳥居で一瞬人がいなくなった時。
願いが叶ったら鳥居を奉納
最初に鳥居を奉納した人が何故そうしたのかは定かではないのですが、自分の願いが叶ったことと、鳥居を通ったことをかけて、鳥居を奉納したそうです。
一人が鳥居を奉納したことで、多くの人がそれに続きました。
最初に鳥居を奉納した人はまさか鳥居が1万基以上も建つとは想像もしていなかったと思います。
ちなみに鳥居は現在もお金を払えば誰でも鳥居を奉納することができます。
伏見稲荷大社へのアクセス方法
伏見稲荷大社へは京都駅からJR線に乗って稲荷駅で降りれば徒歩5分で到着です。
(京都駅から伏見稲荷駅まで。乗車時間:4分。乗車賃:140円)