▲鳥居
神泉苑の歴史を修学旅行レポートにて。
今回は神泉苑の歴史について記事にしました。
神泉苑(しんせんえん)は二条城の南にあるお寺。
元々は二条城のある土地も神泉苑だったと言われています。
①禁苑(天皇のための庭)
②御霊会開催の地
③空海とのゆかり
④徳川家康による埋め立て
▲北門
桓武天皇によって建てられた
神泉苑は平安京遷都前は池だったを言われています。
平安京遷都により桓武天皇によって整備されまして。
禁苑(天皇のための庭園)として利用されます。
天皇や貴族達のみが神泉苑に入ることが許されて、
花見や宴が開催される美しい庭園でした。
▲善女竜王社
御霊会が行われた地
禁苑として利用された神泉苑ですが。
京都で初めて御霊会が行われた地としても知られています。
御霊会(ごりょうえ)とは。
病気や疫病が流行して大勢の人が亡くなった時に、
疫病の流行を食い止めるために神様に祈ることです。
また当時の社会では。
恨みを持って亡くなった人の祟りによって、
自然災害や疫病が発生するものと本気で考えられていたため、
国家規模で御霊会を行って恨みを鎮めることを天皇や貴族が行いました。
▲善女竜王社
空海との逸話
また当時は雨乞い(あまごい)を祈る場所として機能しました。
雨乞いとは雨が長い期間に降らないことで農作物が育たなかったり、
水不足になるなど多くの国民の生活が苦しくなると、
神様に対して雨が降りますように祈ることです。
科学や医療技術や天気予報が発達した現代に生きる私達の価値観では、
雨が降るように神様に祈るなんて効果無いことがわかりますが、
神様を信じる個人が祈るだけでなく国家規模で雨乞いの儀式が行われていました。
空海が当時の天皇から雨乞いの依頼を頼まれて
神泉苑で雨乞いの儀式を行い、儀式の最中に雨を降らせたという伝説が残っています。
▲法成橋
徳川家康による埋め立て
神泉苑は二条城のある土地も敷地内でしたが。
徳川家康によって埋め立てされてしまいました。
二条城の周りを囲う水堀になごりを感じます。
なんとなく罰当たりな気もしますが。
さすが天下の徳川家康です。
きっと当時の京都人から批判を受けたと思いますが。
今となっては京都の中でも有数の観光地となっていますので。
結果良かったのかなと思います。
神泉苑へのアクセス方法
神泉苑は二条城の目の前にあります。
そのため京都駅から神泉苑へはバスで二条城前で下車後に徒歩で行くか、市営地下鉄で二条城前で下車後に徒歩で向かうの良いと思います。
(バス:京都駅から二条城前(堀川御池駅)までは乗車時間:13分 乗車賃:230円
地下鉄:京都駅から地下鉄烏丸線で烏丸御池駅まで行き、地下鉄東西線に乗り換えて二条城前駅下車。乗車時間:8分 乗車賃:260円)