京都の歴史修学旅行レポート

京都南禅寺の歴史|亀山天皇が建てた禅寺の最高峰

新緑の南禅寺

南禅寺入口
▲山門

南禅寺の歴史|修学旅行レポート

今回は京都の南禅寺の歴史について記事にしました。

南禅寺は紅葉の名所として人気のお寺。
ブルーボトルコーヒー前にあるお寺です。

南禅寺の歴史

①前身は亀山天皇の別荘
②亀山天皇が建てた
③京都の禅寺で最高位
④石川五右衛門「絶景かな」舞台

南禅寺紅葉と三門
▲法堂

亀山天皇が建てた

南禅寺は鎌倉時代の1291年に亀山天皇によって建てられました。
南禅寺の土地は元々は亀山天皇の天皇が別荘がありましたが。
無関普門禅師を迎えて南禅寺が建てられました。

亀山天皇は元寇の頃に天皇だった人でした。
海外の国が日本へ戦争を仕掛けて来た大変な時代。
亀山天皇や貴族達は神仏に祈りを捧げるしかありませんでした。

日本が元寇で勝利したのは亀山天皇の祈りのおかげ。
鎌倉武士達のおかげとは思っていなかったとも言われています。

南禅寺三門の下
▲三門

京都五山で最も高い格式

南禅寺は京都にある禅寺の中で最も格式が高いとされました。
京都五山と呼ばれる禅寺の格付け制度の中で最高位に格付けされています。

後に室町幕府三代目将軍の足利義満が相国寺を建てた時に、
義満は自分が建てた相国寺を京都五山の一番目に格付けしたかったので、
南禅寺は京都五山のさらに上、別格ランクのお寺として格付けし直すことで、
南禅寺の顔を立てて自分の相国寺を五山一位にしました。

それにより南禅寺は日本の禅寺の中では最も位が高いお寺として位置付けされています。

南禅寺三門
▲三門

石川五右衛門「絶景かな!絶景かな!」は作り話

南禅寺の見所の一つに大きな三門があります。
京都の三大門のうちの一つに数えられる立派な三門。

南禅寺の三門には安土桃山時代に実在した盗賊である、
石川五右衛門とゆかりがあることが知られています。

石川五右衛門が三門の上から「絶景かな。絶景かな」
と京都市街地の景色を見て言う台詞を聞いたことがある人も多いでしょう。
この場面は歌舞伎の演題「楼門五三桐」に描かれ、
市川海老蔵さん主演ドラマ「石川五右衛門」の中でも場面が描かれていました。

ところが実際には三門が建設された時には石川五右衛門は既に亡くなっていたので、
石川五右衛門が三門の上に立つことは時間軸からあり得ないことがわかっています。
そのため石川五右衛門の名場面は実は作り話です。

ちなみに石川五右衛門を演じた市川海老蔵さんは京都で歌舞伎の公演がある時には、
よく早朝に南禅寺の境内を散歩しているという話を京都人から私は聞いたことがあります。

南禅寺の雲龍図
▲雲龍図

徳川家康の側近として活躍した崇伝

鎌倉時代から室町時代にかけて繁栄した南禅寺でしたが、
応仁の乱で被災してから戦国時代を経て徳川家康が江戸幕府を設立するまでは荒廃していました。

しかし徳川家康から信頼を得た崇伝(すうでん)という僧侶が南禅寺に来てからは、
南禅寺の建物は再建されて復興を遂げることができました。

崇伝は当時の人達から「黒衣の宰相(さいしょう)」と呼ばれ、
家康が実施した武家諸法度や禁中並公家諸法度、キリスト教の禁止などの法律は崇伝が考案しました。

家康の側近として世の中の仕組みを作り、
社会を動かしていたことから黒衣の宰相と呼ばれました。
黒衣とは僧侶が着る服のことで、普通は僧侶は政治に関与しないところを僧侶でありながら政治を動かす宰相(さいしょう)として黒衣の宰相と揶揄しました。

南禅寺の水閣路
▲水路閣

インスタ映えスポット水路閣

ちなみに南禅寺には水路閣も有名です。
明治時代に造られた水路閣はインスタ映えスポットとして人気。

ブルーボトルコーヒーと水路閣目当てに南禅寺に来る方が多いほど。笑
禅寺の凛とした空気を感じながらも、
オシャレも楽しめる南禅寺♪

南禅寺へのアクセス方法

京都駅から南禅寺へはバスか地下鉄で行きます。
私は京都で極力バスに乗りたくない派なので電車で移動します。理由は渋滞や満員バスに貴重な休みの日まで巻き込まれてストレスを感じたくないからです。。。

京都駅から地下鉄で烏丸御池駅まで行き、東西線に乗り換えて蹴上駅(けあげ駅)で降りたら徒歩5分ほどで南禅寺に到着です。
(京都駅から蹴上駅まで乗車時間:15分。乗車賃:260円 )