京都旅行記

明智光秀の首塚 | 白川沿いで人知れず眠る光秀の首

光秀の首塚

光秀の首塚前の白川
▲白川

明智光秀の首塚

今回は明智光秀の首塚に行ってきました。

明智光秀と言えば本能寺の変。
地下鉄東山駅近く、白川沿いに光秀の首を弔う首塚があります。

光秀の首塚

①ひっそりとした場所
②なぜ首だけ?
③なぜここに?
④光秀の最期

明智光秀の首塚
▲首塚

この場所に首塚がある理由

本能寺の変を起こした明智光秀は豊臣秀吉に討たれました。

秀吉との戦に敗れた光秀は遺体を磔にされます。
磔にされた場所は首塚近くの粟田口。

粟田口は京都の街の入口にあたる場所で、
あえて多くの人が見れるように
自分が仕えてきた織田信長を討った不届き者はコイツだ!
見せしめのため、秀吉により磔にされました。

その後に近所の方々によって首塚が作られ
静かに埋葬されて現在に致します。

光秀の胴塚

ちなみに山科には胴塚があります。
その名の通り胴体が埋葬された塚のことです。

まだ行けていないのですが、
いずれ胴塚にも行こうと思っています。

明智光秀肖像画
▲光秀の肖像画

明智光秀の最期

本能寺の変から11日後に光秀は豊臣秀吉との戦に敗れました。

光秀は秀吉軍に勝てないことがわかると、
自分の城がある滋賀県の坂本城へ敗走します。

その敗走途中、小栗栖と呼ばれる地域の竹やぶを通っている時に、
木の陰に隠れていた地元の農民達に襲撃されて命を落としました。

光秀首塚
▲首塚

本能寺の変の真相

光秀の首塚を見てみたいと思ったのは、
明智憲三郎さんの著書「本能寺の変 431年目の真実」を読んだからでした。

明智光秀の末裔である明智憲三郎氏。
ネタバレになってしまうから多くは語れませんが、
学校では習わない明智光秀が本能寺の変を起こした理由には驚きでした。
全ては一族の未来を考えてのこと。

学校の授業では出来事を淡々と覚えましたが、
出来事の背景にある理由を知ることはありませんでした。
もしも興味がある方は明智憲三郎氏の著作を読んでみて欲しいですし、
感想やご意見を語り合いたいです。笑

歴史って面白いと大人になってから知りました♪

明智光秀首塚へのアクセス方法

明智光秀の首塚は観光名所の平安神宮から歩いて10分ほどの場所にあります。
そのため平安神宮を訪れる際に、ついでに足を延ばしてみるのが良いと思います。

京都駅から平安神宮行きのバスに乗るか、地下鉄で東山駅で降りてから徒歩10分ほどで到着です。
東山三条駅の側には白川という川が流れており、駅から白川沿いを川の流れと同じ方向に歩くと、餅寅という名前の和菓子屋さんが見えます。
餅寅さんのすぐ横にある細い道に入るとすぐに明智光秀の首塚があります。