京都の歴史修学旅行レポート

京都霊山護国神社の歴史|坂本龍馬や維新志士がお墓に眠る

京都霊山護国神社本殿前

京都霊山護国神社の坂本龍馬のお墓
▲坂本龍馬のお墓

京都霊山護国神社の歴史|維新志士のためのお墓

今回は京都霊山護国神社の歴史について。

幕末の維新志士や戦没者を弔う京都霊山護国神社。
坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓があることでも有名です。

京都霊山護国神社の歴史

①始まりは幕末
②明治元年:霊山官祭招魂社
③1939年:京都霊山護国神社
④坂本龍馬のお墓
⑤木戸孝允のお墓が最高

京都霊山護国神社本殿
▲本殿

倒幕派の維新志士達だけの場所から始まる

京都霊山護国神社は幕末から第二次世界大戦の戦没者を慰霊する神社。
元々は幕末に作られた墓地が京都霊山護国神社の始まりでした。

江戸時代末期。
いわゆる幕末の京都では幕府派と倒幕派の戦いが激しく。
多くの命が失われました。

元々は倒幕府派の犠牲者だけのお墓が作られたことが始まり。
幕府派の戦死者は除き。
維新志士だけのお墓として京都霊山護国神社の歴史は始まりました。

京都霊山護国神社拝殿
▲拝殿

明治元年に霊山官祭招魂社

明治元年1868年に明治政府によって霊山官祭招魂社と名称が付けられます。
「官祭」は政府が管理する神社にだけ付く名称。
国から税金での祭祀料が支給される神社として普通の神社より格上の存在でした。

明治天皇から詔が発行された上で。
維新志士達だけでなく戊申戦争の戦没者達の慰霊も祀られるようになりました。

1939年に京都霊山護国神社に名前が変わります。
ここから太平洋戦争の戦没者も祀られるようになりまして。
全国各地にある護国神社と同じようになります。

京都霊山護国神社木戸孝允のお墓
▲木戸孝允のお墓

坂本龍馬や木戸孝允のお墓がズラリ

京都霊山護国神社の隣に数百基のお墓が整然と並びまして。
坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓が並んであるのが最も有名です。
11月15日には龍馬祭が行われることでも知られています♪

長州藩や薩摩藩など多くの倒幕派のお墓がズラリと並び。
一番高い場所に木戸孝允の立派なお墓があるのが印象的です。

有名なのは坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓ですが。
この墓地が誰にために作られたのか?
木戸孝允のお墓の格式の高さが物語っています。

京都霊山護国神社本殿前
▲本殿前

独特な雰囲気の神社

京都には多くの神社がありますが。
京都霊山護国神社は他の神社とは雰囲気が違うように感じます。

私が大好きな上賀茂神社や下鴨神社とは異質な空気。
同じ神社とは思えないほどピリッとした雰囲気を私は感じました。

自然に囲まれた古代から続く神社ではなく。
戦没者を弔うための神社だからなのか。
言葉では説明できない空気を感じて頂きたいと思います。

京都霊山護国神社へのアクセス方法

京都霊山護国神社は高台寺の裏、東側にあります。
京都駅から清水寺行きのバスに乗り、東山安井駅で降りましょう。
バス停から徒歩20分ほど坂道を登ると到着です。汗
(京都駅から東山安井駅まで約20分 乗車賃:230円 )