▲平等院鳳凰堂本殿
平等院鳳凰堂の歴史を修学旅行レポート。
こんにちは。
今回は京都にある平等院鳳凰堂の歴史について記事にしました。
平等院鳳凰堂と言えば世界文化遺産に登録されているだけでなく、十円玉にも描かれているお寺としても有名な観光名所です。
京都旅行を計画する時には、行く先の候補として平等院鳳凰堂は必ずあがるのではないでしょうか?
しかし平等院鳳凰堂は京都市ではなく隣の宇治市にあることから、いざ行くことを考えるとアクセスし辛いと思われがち。でも実際は京都駅から平等院まではJRに乗れば約20分で行くことができます。
20分なら京都駅から清水寺や金閣寺に行く時間と大して変わらないどころか、むしろ近いです。
また京都市外ということで、金閣寺や清水寺ほどの人混みにはならないので人混みが苦手な人にはおススメです。(とは言っても空いている訳ではないです。。。(^^;))
そして今回は私も十円玉に描かれているお寺を一度は見ておきたいと思って平等院鳳凰堂に行ってきました。
せっかく訪れたこともあり、修学旅行のレポートを学校の担任の先生に提出するつもりで平等院鳳凰堂の歴史について記事にしてみました。

平等院鳳凰堂はいつ?誰?が建てたのか?
平等院鳳凰堂は平安時代の貴族である藤原頼通によって建てられました。
藤原頼通(ふじわらよりみち)は藤原道長(ふじわらみちなが)の息子になります。
藤原道長の名前は学校の歴史の授業でも必ず習いますね。
藤原道長は自分の娘を天皇の奥さんにすることで、娘と天皇との間に生まれる子供、つまり次の天皇のおじいちゃんという立場を意図的に作り続けました。
そして子供だった次の天皇が大きくなって天皇の位に就いた時には、おじいちゃんの立場を利用して天皇を陰から操って政治を動かし、自分に都合の良い政策を行うことで権力とお金を手に入れました。
▲平等院は写真を撮りたい人で溢れている。
藤原道長や頼通が手に入れた権力
藤原道長は自分の娘を連続して3人の天皇の奥さんにすることに成功したので、当時の社会で最高の権力とお金や財産を欲しいがままに手にすることができました。
全てを手に入れた当時の道長が遺した有名な和歌があります。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば」
意訳:この世は自分が思う通りにすることができる。まるで満月のように欠けるもの、足りないものは何もない。
道長は自分の娘たちを天皇の奥さんにすることで手にした権力を使って自分の懐にお金が流れてくると豪華なお寺をたくさん建てたり、豪遊したりと贅沢をすることができました。
そして道長の背中を見て育った息子の藤原頼通によって平等院鳳凰堂は建てられました。当時の国民から徴収した税金を使って現代まで残る文化遺産が完成したのです。
▲本堂の屋根には黄金の鳳凰
なぜ?建てられたのか。
平等院鳳凰堂は頼通が自分の死んだ後に極楽(ごくらく。つまり天国)に行くことを願って建てられました。
これだけ科学の発達した現代社会で、「私は死んだ後に天国に行きたいので、自分のお金や財産を注ぎ込んで豪華なお寺を建てました」と言う人がいれば、「えっ?本気でそんなこと信じているの?そんなことにお金使うなんて。。。」とその人を少し怪しい目で心配する人のほうが多いのではないでしょうか。
でも当時の社会では人は死んだら極楽か地獄へ行くと真剣に考えられていまして、僧侶になって厳しい修行を積むか、僧侶にならないのであればお金や財産をお寺に寄付すると極楽に行くことができると信じられていました。
さらに寄付する金額は多ければ多いほど良いと考えられていました。
そのため藤原道長や頼通のようなお金持ちの貴族達によって立派なお寺が数多く建てられました。道長も法成寺など数多くの豪華なお寺を建てましたが、残念ながら火災や戦争によって現在は残っていません。
しかし頼通の建てた平等院鳳凰堂の本殿は奇跡的に現在も残っていまして、当時の社会の人達が極楽世界をどのように信じていたかを伝える貴重な文化遺産となっているのです。
▲本堂には阿弥陀如来像が鎮座しています。
貴族が憧れる極楽世界を表現する境内
実際に平等院鳳凰堂を目の前にすると、藤原頼通や当時の人達が極楽世界をどんな景色の広がる世界と考えていたのかを感じることができると思います。
京都にはたくさんの美しいお寺がありますが、平等院ほどに極楽を表現したお寺はありません。
左右対称に広げた回廊、真っ赤に彩られた建物、屋根の上には黄金の鳳凰像、そして本堂の目の前には平等院が反射して映るように配置された池が佇んでいます。
平等院は建物が東を向いていまして、朝日を浴びるように設計されています。
平等院は山号が朝日山と呼ばれるのが偶然なのか、早朝に朝日が昇ってくると、ゆっくりと屋根の上に立つ黄金の鳳凰像から光り輝き、段々と屋根から池に向かって順番に朝日で照らされていきます。
そして池も含めて境内全体に朝日が降り注ぐと、平等院鳳凰堂が光輝いて極楽世界にいるかのように感じことができるように設計されています。
その光景はまさに当時の人達が想像する極楽世界を表現しているのです。
頼通は自分の持つ財産(国民から徴収した税金)を使って自分や貴族だけが死んだら美しい極楽世界に行けるように、極楽世界に思いをはせるために平等院鳳凰堂を建築したのです。
▲平等院ミュージアム
平等院鳳凰堂は一部のお金持ちだけが極楽に行くために建てられた。
鎌倉時代になると浄土宗を開いた法然や浄土真宗の親鸞がお金持ちでなくても誰もが「南無阿弥陀仏」と口で唱えたり、心の中で唱えれば極楽に行くことができるという教えを広めたことで仏教が庶民にも広がりましたが、平安時代には仏教と接することができる人は一部の人に限られていました。
そのため藤原氏などの一部のお金持ちだけが極楽に行くことを願い、庶民から徴収した税金で豪華なお寺を建てました。
平等院は庶民のことはほったらかしにして貴族達が自分のことだけを考えていた当時の社会の姿を映し出す文化遺産でもあるのです。
果たして道長と頼通は無事に極楽に行くことができたのでしょうか?
それは誰にもわからない。
宇治平等院鳳凰堂へのアクセス方法
京都都からJRで宇治駅まで行くと、駅から徒歩10分。
想像以上にアクセスはしやすいです。
平等院を見終わったら近くに世界遺産の宇治上神社や、宇治と言えば宇治茶ですのでお見上げに茶葉を買ったり、抹茶を飲んでいくのも良いです。
帰りは京阪電車にのって伏見稲荷駅で降りると千本鳥居で有名な伏見稲荷大社に行くこともできますし、伏見稲荷を見終わった後は祇園四条駅まで行けば京都一の繁華街でお買い物や食事をすることができます。
もし体力と時間があれば清水寺まで行くことができますので、京都市外だからと知って訪れないのは損だと思います。
▲宇治川からの景色 右手に平等院があります。