
▲伏見奉行所跡案内板
伏見奉行所跡
今回は伏見奉行所跡に行ってきました。
鳥羽伏見の戦いでは幕府軍の拠点だった伏見奉行所。
すぐ北側にある御香宮神社には薩摩藩が拠点を構え、数十メートル間で激しい攻防が行われた場所です。
①新選組敗北の地
②阿部十郎の仕返し
③明治時代に陸軍施設
薩摩藩の最新鋭大砲に敗れる
近鉄桃山御陵前駅の南にある伏見奉行所跡。
現在は石碑のみが立っているだけの場所となります。
伏見奉行所は幕末に起きた鳥羽伏見の戦いにおいて、幕府軍の拠点として新選組も伏見奉行所で新政府軍と戦いました。
戦の結末は学校で習った通り新政府軍が勝利し、伏見奉行所は新政府軍の最新鋭大砲による被害で焼失しました。
阿部十郎の復讐
伏見奉行所跡に行こうと思ったのは、司馬遼太郎作品「新選組血風録」に伏見奉行所が登場したからです。
ざっくり物語の概要を説明すると、新選組で大砲を扱う隊員だった阿部十郎が、色々あって新選組を脱退した後に薩摩藩に入り、鳥羽伏見の戦いでは新選組の敵として伏見奉行所に大砲を打ち込んで復讐を果たしたという話。
新選組血風録を読まなければ伏見奉行所の存在や阿部十郎のことも知ることはありませんでした。
史実では薩摩藩はフランスで開発された四斤山砲と呼ばれる最新鋭の大砲を自分達で製造し、鳥羽伏見の戦いで威力を発揮しました。
薩摩藩は御香宮神社や神社の東側の高台から、伏見奉行所に向けて四斤山砲を撃って圧倒的勝利を収めました。

▲伏見工兵第十六大隊跡
明治時代には陸軍施設へ
明治時代になると伏見奉行所跡地は陸軍駐屯地になり、現在は桃陵団地が立ち並ぶ閑静な住宅街となっています。
伏見奉行所跡へのアクセス方法
近鉄桃山御陵前駅から南へ徒歩5分ほどで到着できます。 (京都駅から近鉄桃山御陵前駅まで乗車時間:約10分 乗車賃:300円)
