
▲本光寺
油小路事件|新選組ゆかりの地巡り
今回は油小路事件の跡地に行ってきました。
油小路事件は新選組が伊東甲士太郎など御陵衛士(元新選組メンバー)を粛清した事件です。
京都駅から徒歩5分ほどの本光寺に事件を伝える石碑があります。
①石碑
②伊東甲子太郎絶命の跡
③無料
石碑だけが残る|伊東甲子太郎外数名殉難之跡
この記事を書くきっかけは司馬遼太郎作品「新選組血風録 新装版 (角川文庫)
」を読んだからになります。
この本で初めて油小路事件のことを知りまして、読んですぐにジョギングついでに跡地まで行ってきました!
場所は京都駅から徒歩5分ほどで行ける本光寺。山門前に「伊東甲子太郎外数名殉難之跡」と刻まれた石碑が立っています。
境内には「絶命の碑」が立っており、本を読み終えたばかりで興奮冷めやらぬ状態で思わず手を合わせました。
その時の動画も作成しましたので、現地の雰囲気を感じたい人の参考になれば嬉しいです♪

▲伊東甲子太郎絶命の跡
油小路事件の概要
油小路事件をざっくり言ってしまうと、新選組から脱退した伊東甲子太郎を中心とした元隊員達を粛清した事件です。
伊東甲子太郎は新選組の中で参謀という役職に就き、副隊長の土方歳三と同格扱いの幹部の1人。
その伊東を近藤勇が酒の席に誘い、酒に酔わせた伊東を帰りの道中で暗殺します。
さらに伊東の仲間達も粛清するために、わざと伊東の遺体を路地に放置し、彼らが遺体を引き取りに来た時を狙って一網打尽にしました。
作中では通行人が伊東の遺体を発見し易くするために、あえて遺体の足を切り刻み、引きずり回して道路に血の跡を付ける残酷な描写もありました。
また実際の歴史では油小路事件を隠れて見ていた人がいて、事件後の現場には刀で切られた指が何本も落ちていたという証言が伝わっています…

▲石碑
生き残った加納道之助による復讐
伊東甲子太郎の遺体を引き取りにきた御陵衛士7人に対して、新選組は40人超の隊員で取り囲みました。
この絶体絶命な状態から実は4人も生きて逃げ切り、生き残った1人に加納道之助がいました。彼も元新選組で伊東と共に脱退したメンバーでした。
加納は油小路通から薩摩藩邸に逃げ切り、戊申戦争では薩摩軍に参加して江戸幕府に勝利しました。
そして戊申戦争の最中で大久保大和と偽名を使って投降してきた近藤勇の正体を見破り、彼を捕縛したのが加納でした。
これがきっかけで近藤勇は処刑され、京都の三条河原でさらし首になりました。
まさか油小路事件の生き残りのせいで近藤勇が処刑されてしまうオチが待っているなんてビックリし過ぎました。
本光寺へのアクセス方法
京都駅から徒歩5分ほどで到着できます。
京都タワー前に出ましたら、塩小路通を西へ進みます。そして油小路通で北へ曲がりますと到着できます。
