京都の歴史修学旅行レポート

京都知恩院の歴史|法然の浄土宗のトップオブトップ

知恩院三門

知恩院桜
▲三門

知恩院の歴史を修学旅行レポートにて。

今回は知恩院の歴史について。

知恩院(ちおんいん)は日本最大級の三門を門前に構え、その巨大な木造の門を見るために多くの観光客の方々が訪れます。

知恩院の歴史

①法然の弟子が建てた
②現在の形は徳川家光が建てた
③延暦寺からの弾圧

知恩院三門をくぐる人
▲三門

現在の知恩院は徳川家光が建てた

巨大な三門が印象的な知恩院。
現在の巨大な伽藍は江戸時代に徳川家光が建てたものになります。 

徳川家康が浄土宗の信者だった縁で。
家康は知恩院へ多額の寄付も行いましたし。
二代目将軍の秀忠によって三門も建設されました。

しかし火災によって主な建物が全て全焼しました。
三代目将軍の家光による寄付によって現在の姿の知恩院が完成しました。

法然の石像
▲法然像

庶民を相手に布教した法然

しかし法然は、どんな人であっても「無阿弥陀仏(なみあみだぶつ)」と口で唱えれば誰もが仏様のご加護を受けることができると主張しました。
法然以前の仏教は難しい仏教の本を読み、厳しい修行を行う必要がありましたが、法然はそんな難しいことは必要ないと、南無阿弥陀仏と唱えるだけで良いとしました。

そのおかげで今まで仏教には触れることのできなかった庶民の間に法然の教えは受け入れられました。
知恩院は法然の教えを現在も伝える浄土宗の総本山のお寺であり、法然を祀る場所でもあります。

現在の建物は江戸時代に徳川家康によって大きく改築されており、京都にあるお寺の中でも非常に立派な造りとなっています。徳川家康は浄土宗の信者だったこともあり、京都のお寺の中でも知恩院を優遇したと言われています。

三門の下
▲三門の下

延暦寺によって弾圧されてきた法然

法然は武士の家に生まれて将来は武士になるはずでしたが、父親は敵対する武士に襲われて殺されてしまいます。
その際に父親は法然に遺言を残し、「私の敵討ちはせずに、仏の道へ進みなさい」と法然に言い残します。

そして父親の遺言に従って法然は京都の比叡山延暦寺へと出家をし、毎日の修行をまじめに行うことで子供の頃から延暦寺の中でも優秀な僧侶として有名になりました。

しかし延暦寺で過ごすうちに延暦寺の僧侶達が貴族からお金を貰うことや自分が出世することばかり考えて、人々を苦しみから救うという本来の仏教の姿を失っていることに失望し、自分で人々を救うために延暦寺を去ります。

そして京都の町で学校に通うこともない人にも仏教の教えが理解できるように説明して回り、南無阿弥陀仏と唱えるだけで仏様は救ってくれますと人々に教えたのでした。

すると法然の教えを支持する人が増え、次第に庶民だけでなく貴族達にも注目されるようになりました。
知恩院廟堂
▲知恩院廟堂 法然の遺骨が祀られている。

暴力による破壊行為にも負けず

しかし延暦寺にとって貴族達は自分達にお金を落としてくれる客なので、延暦寺は客を奪う存在になった法然を弾圧するようになります。

南無阿弥陀仏と唱えるだけで誰もが極楽に行ける訳が無いと法然の教えを否定するだけでなく、法然とゆかりのあるお寺を暴力で取り壊しました。
また法然の教えは誤った仏教の教えを広めているとして延暦寺は朝廷に法然に罰則を与えるように訴え、法然は四国へ流罪させられる刑罰も受けました。

その後に法然は罪を許されて京都へ戻ることができましたが、その翌年に亡くなります。法然の死を弔うために弟子達によって知恩院の原形となるお寺が建てられましたが、法然の死後も延暦寺による浄土宗への弾圧は続き、法然を弔う建物は延暦寺によって破壊されます。そして法然が亡くなってから約20年後になって、ようやく弟子達によって知恩院の原形となる大谷寺が建てられました。

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知恩院の廊下
▲御影堂と阿弥陀堂をつなぐ廊下

現在の知恩院は徳川家のおかげ

知恩院廟堂前
▲廟堂前では南無阿弥陀仏と唱えることができる。

南無阿弥陀仏に意味はあるか?

知恩院を訪れると南無阿弥陀仏と唱える僧侶を見ることができます。
法然が生み出した教えが科学や医療が発展した現代まで続いていることに驚きます。

しかし南無阿弥陀仏と唱えるだけで人は救われるのでしょうか?
学校の教科書には法然が多くの信者を集めたとサラッと書かれていますが、一体どこに人を惹きつける魅力があったのでしょうか?
私自身は何か宗教に入っていないので、どこかの宗教へ入るという感覚が理解できません。

しかし鎌倉時代に法然に会った人達は法然を支持し、彼の信者となりました。そして現在でも浄土宗は多くの人達によって支えられているのです。

南無阿弥陀仏と唱えるだけで人々は救われる。。。
そんな簡単に人の心を救えるのなら、世の中で不幸な人はいなくなるだろう。
でもそんな訳はない!不幸な思いで毎日を送る人は大勢いる!
一体どうして法然は多くの人の心を魅了できたのだろうか?
私には謎のままであり、これから法然のことを調べてみようと思いました。

知恩院へのアクセス方法

京都駅から知恩院へは清水寺方面行きのバスで行くのが簡単な方法です。
京都駅前のバスターミナルから大きく清水寺方面行きと書かれたバス停から清水寺前や祇園駅で降りた後に歩いて知恩院へ向かいます。
(京都駅から知恩院周辺までバスでは約20分 乗車賃:230円)
知恩院、八坂神社(円山公園)、高台寺、清水寺は距離はありますけど隣合っているような感じです。

しかし個人的には京都のバスは渋滞に巻き込まれたり、満員バスで座れないことも多いので地下鉄と徒歩で行くことが多いです。(^^;)
京都駅から市営地下鉄で四条駅まで行き、四条駅から歩いて知恩院まで向かいます。
歩くと約20分ほど必要ですけども、知恩院まで行く途中には京都の繁華街である四条や河原町を通りながら、鴨川も渡って祇園界隈も見て回ることもできるので現代の京都を感じることもできます。
(京都駅から四条駅までは2駅 乗車時間3分 乗車賃210円 四条駅から知恩院までは徒歩20分ほど。)