京都の歴史修学旅行レポート

大徳寺高桐院の歴史を修学旅行レポートとして提出します。

高桐院参道

高桐院参道
▲高桐院の参道

高桐院の歴史を修学旅行レポートとして。

こんにちは。
今回は京都にある高桐院(こうとういん)の歴史について記事にしました。

高桐院は千利休や一休さんとして有名な一休宗純とゆかりのある大徳寺の塔頭のひとつです。
京都を特集する観光雑誌には高桐院は美しいお寺として参道の写真が掲載されることが多いので、テレビや雑誌などで高桐院の映像や写真を見たことがある人も多いかもしれませんね。

高桐院は竹林に囲まれた境内と一面に苔が生えていることから鮮やかな緑色が印象的です。世界的にも有名な映画監督のスティーブン・スピルバーク監督が高桐院を美しいと絶賛したことでも知られています。
ちなみに高桐院は参道を見るだけなら拝観料が要らないこともあり、観光シーズンの休日には多くの人が写真を撮っている光景をよく見かけます。

そして今回は大徳寺塔頭の高桐院の歴史についてブログ記事にしてみました。

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高桐院庭園
▲高桐院の庭園

高桐院を建てた人物。

高桐院は戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武士の細川忠興(ただおき)によって建てられました。

細川忠興は父親である細川藤孝(細川幽斎)を弔うために高桐院を建て、忠興の妻である細川ガラシャ(キリスト教信者になったことからガラシャという洗礼を受けた名前が授けられている。)のお墓もあり、細川家の菩提寺となっています。

細川藤孝は室町幕府の最後の将軍だった足利義昭の部下として活躍した後に、織田信長の下へ移籍しました。また息子の忠興は織田信長から豊臣秀吉、徳川家康の部下として活躍し、信長、秀吉、家康という実力者に認められた凄腕の戦国武将です。

ちなみに細川家は現在まで脈々と子孫が続いておりまして、1993年に第79代の総理大臣を務めた細川護煕は細川藤孝や忠興の子孫になります。
優秀な人の子孫も優秀ということで、遺伝子って凄いなと思いますよね。(^^;)

高桐院の茶室
▲高桐院の茶室

明智光秀と細川家の深い関係。

学校の授業では細川藤孝、忠興の名前は教科書には出てきませんよね?
戦国時代を描いた大河ドラマや歴史小説や漫画などには登場する人物ですが、一般的にはあまり知られていない人物かと思います。
忠興は熊本城の城主にもなったので熊本県の人には有名人物かもしれませんね。

私も細川藤孝や忠興の存在を知らなかったのですが、最近読んだ「本能寺の変 431年目の真実」という本に登場していたことで大変興味を持った人物となりました。

日本史の中でも最も有名な事件とも言える「本能寺の変」とは、天下統一を目前に控えた戦国武将の織田信長が部下である明智光秀の謀反によって討ち取られてしまった大事件。
もし本能寺の変が起きていなければ、織田信長の政治によって現在の日本の形は間違いなく違っていただろうと言われています。
本能寺の変431年目の真実
▲本能寺の変 431年目の真実

本能寺の変が成功する鍵を握った人物

その本能寺の変について明智光秀の子孫である著者の明智憲三郎さんが学校の教科書には載っていない新しい切り口で真相を発表されておられます。
発売当時からベストセラーにもなり、私は最近読んだのですが大変面白くて時間を忘れて読みふけってしまいました。

本の内容を詳細に述べることはできませんが、私個人的には明智光秀による本能寺の変が成功するか失敗するかの鍵を握った人物が細川藤孝と忠興でした。

明智光秀と細川藤孝は織田信長の下で働く前からの旧知の仲であり、明智光秀の娘(後の細川ガラシャ)を細川藤孝の息子である忠興の妻に迎えるほどの深い信頼関係がありました。

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高桐院方丈
▲高桐院の一部屋

なぜ細川藤孝は光秀を裏切ったのか。

そのため本能寺の変においても、明智光秀は細川藤孝と忠興と共に信長を討ち取り豊臣秀吉とも戦う予定だったのですが、当日になって細川家は自分の城から一切動くことなく光秀に手を貸すことはありませんでした。

そのため光秀は藤孝に対して早く援軍を送ってくれるように再三督促していたのですが、藤孝は光秀に援軍を送ることなく、光秀は秀吉に討ち取られてしまったのです。

もし細川家が当初の予定通り光秀軍と一緒に秀吉と戦っていたら、本能寺の変は成功していたかもしれません。しかし細川家は光秀を裏切り、本能寺の変の後で秀吉から大きな恩賞が与えられることになったのでした。。。
高桐院参道苔と竹林
▲高桐院参道

おそらく戦国時代が好きで詳しい人以外は、高桐院の美しさを目当てに訪れることが多いかと思います。

でも実は学校の教科書には取り上げられていない、日本史上最大の事件が成功するか失敗するかの鍵を握った人物が眠っていることを知ると、より高桐院のことを楽しめるのではないでしょうか?

高桐院へのアクセス方法

京都駅から市営地下鉄に乗り北大路駅で降りて、大徳寺駅行きのバスで大徳寺前で降りると到着です。
高桐院は大徳寺の塔頭なので大徳寺の境内の中にあります。
京都駅から北大路駅までは7駅。乗車時間13分。乗車賃260円。
北大路駅からバスで大徳寺前までは3駅。乗車時間5分。乗車賃230円です。
かざりやあぶり餅外観
▲あぶり餅屋さんのかざりや

高桐院の近くにはあぶり餅で有名な今宮神社まで歩いて5分ほどで行くことができますので、是非とも京都名物のあぶり餅を食べに今宮神社まで行くことをおススメします。(^^)/