京都の歴史修学旅行レポート

新日枝神宮の歴史|後白河上皇が建てた後に秀吉ゆかりの神社に

新日吉神宮鳥居と楼門

新日吉神宮楼門
▲楼門

新日吉神宮の歴史を修学旅行レポートとして。

今回は新日枝神宮の歴史について記事にしました。

新日枝神宮は豊国廟の手前にある神社。
京都女子大学キャンパスのお隣にあります。

新日枝神宮の歴史

①後白河上皇が建てた
②後白河天皇を祀るから神宮へ
③豊臣秀吉とのゆかり

新日吉神宮本殿
▲本殿

後白河上皇が建てた

新日枝神宮は平安時代の1160年に後白河上皇が建てました。
新日枝神宮は法住寺殿と呼ばれる、
後白河天皇が住む御所の鎮守社として建てられます。

後白河天皇は現在の三十三間堂近くの立派な御所に住んでいました。
現在はその地に法住寺、隣に後白河天皇陵があります。

当時の法住寺殿の雰囲気は感じられませんが
ひっそりと後白河天皇の足跡を感じることができます。

新日吉神宮境内
▲境内

昭和1958年に神宮へ格上げ

神社には格がありまして
神社より神宮のほうが格が上。
新日吉神宮も新日吉神社ではなく新日吉神宮なのです。

理由は後白河天皇を祀っているからなのですが。
1958年に後白河天皇が合祀されたことで神宮へ格上げされました。

新日吉神宮狛猿
▲狛猿

豊臣秀吉とのゆかり

新日吉神宮は一説には豊臣秀吉とのゆかりも注目されています。
後白河上皇が建てた新日吉神宮は応仁の乱にて被災。
それ以降は廃絶していたのですが江戸時代に再興されます。

その際に樹下神を勧請して樹下社が建てられたのですが、
樹下は秀吉の旧名である木下を暗示しているため、
元豊国神社を復活させたとする説があります。

堂々と復活と言えないのは、
徳川家康が秀吉を祀る豊国神社をぶっ壊した経緯がありまして、
江戸幕府時代に秀吉を祀ることはご法度だったからです。

新日吉神宮阿弥陀ヶ峰
▲鳥居

豊臣家ゆかりの方々により再興

明治時代になって新日吉神宮は豊臣家ゆかりの方々により復活。
その際に豊国廟の参道上に境内が建っていたため、
現在の位置にズラシテ再興されました。

新日枝神宮へのアクセス方法

新日枝神宮の近くには京都国立博物館や三十三間堂がありますので、京都駅からバスで京都国立博物館に行き、バス停から歩いて行くのが良いと思います。
バス停からは東へ向かい、後は登坂を登ると覚えておけば到着します。
(京都駅から博物館三十三間堂前駅まで。乗車時間:7分。乗車賃:230円)