京都の歴史修学旅行レポート

崇道神社の歴史を修学旅行レポートにて提出いたします。

崇道神社の参道

崇道神社二の鳥居
▲崇道神社の鳥居

崇道神社の歴史を修学旅行レポートにて。

こんにちは。
今回は崇道神社の歴史について記事にしました。

崇道神社(すどう神社)は名前の通り、崇道天皇を神様として祀る神社です。。。
崇道天皇という名前に聞き覚えのある人は、きっと高校でも日本史を専攻した人や、日本史が好きな人ではないかと思います。
崇道天皇は学校の歴史に教科書では、早良親王(さわら親王)という名前で登場する人物。
時は奈良時代から平安時代へ移り変わる頃、日本の都が奈良の平城京から京都の平安京へ遷る頃に早良親王の名前が教科書に出てきました。

ところが登場したといっても、平城京から都を長岡京(平安京の前に建設が予定されていた都)に遷す計画を中心的に進めていた人物である藤原種継が何者かに殺された事件の犯人として早良親王の名前が登場します。
そのため学校の教科書の内容を知っている人にとっては、何故に悪者の早良親王(崇道天皇)が崇道神社に祀られているのか不思議に感じるはずです。

私自身もそう思っていましたし、そんな悪者が祀られている神社に参拝したくありません。一体どんなご利益があると言うのでしょうか?ご利益なんてあるはずないでしょう。。。

今回は崇道神社の歴史について修学旅行レポートを学校の担任の先生に提出するつもりで記事にしてみました。

崇道神社の参道
▲崇道神社の参道

崇道神社に祀られる早良親王とは。

崇道神社に祀られている崇道天皇こと早良親王は今から約千年前の奈良~平安時代に生きた人物であり、785年に亡くなりました。

名前に親王がつくことわかるように天皇家の血を受け継ぎ、当時の天皇である桓武天皇の弟でもあり、桓武天皇の次に天皇になることが決まっていた人物です。
ところが早良親王は殺人事件の犯人として逮捕されてしまいました。

早良親王は自分の無実を訴え、当時の天皇であり実の兄でもある桓武天皇に対しても無実であることを必死に伝えました。しかし桓武天皇は早良親王の訴えに耳を傾けることなく、早良親王が次の天皇になることも白紙とし、京都から追放となる島流しの刑に処します。
崇道神社本殿前
▲崇道神社の本殿へと続く階段

早良親王の呪い

早良親王はそれでも自分の無実を訴えるために、食事を摂ることを止めて自らを死に追い込みます。絶食行為によって兄の桓武天皇に本当に自分が無実であることを訴えたのです。しかし島流しの刑は実行されることになり、島流し先の淡路島へ輸送されている途中で息絶えてしまったのでした。

普通ならここで話は終わりなのですが、早良親王が亡くなると桓武天皇の身の周りで不吉な出来事が起こるようになりました。
桓武天皇の息子であり次に天皇になる予定の安殿親王が病気になり、桓武天皇の奥さんが急死、桓武天皇のお母さんも急死、町では疫病や洪水が発生するなどしました。
そのために人々は早良親王の祟りではないかと疑うようになりました。

当時の社会では恨みを持って亡くなった人がこの世に祟りを起こすことが真剣に信じられており、恨みを持つ人の地位が高ければ高いほどに祟りの大きさも大きくなるとされていました。
早良親王は次の天皇になることが決まっているほどの地位でしたので、祟りは最大級の規模となると考えられていました。

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崇道神社階段
▲崇道神社本殿前

早良親王の怒りを鎮めるために崇道神社は設立。

そのため桓武天皇は早良親王の怒りを鎮めるために鎮魂の儀式を実施したり、早良親王を祀る神社を建設しました。
そして京都にある崇道神社も崇道天皇の怒りを鎮めるために建てられた神社の一つになります。
早良親王は天皇になる前に亡くなり天皇名を与えられていないので、死後になって崇道天皇という名前を授けることで怒りを鎮め、神社の名前も早良親王ではなく崇道神社と名付けられました。

崇道神社は普段から薄暗い雰囲気が漂っていますので、崇道天皇のことを知ると余計に崇道神社の境内を暗く感じるようになり、ちょっと怖いです。。。崇道天皇は現在でも恨んでいるでしょうか?

崇道神社本殿
▲崇道神社本殿

崇道天皇は無実。

早良親王は本当は無実であり、兄である桓武天皇の陰謀だったと言われています。
桓武天皇は弟である早良親王ではなく自分の子供に次の天皇を譲りたい気持ちが強くなり、早良親王が邪魔な存在へと変わっていきました。
実際に早良親王が失脚するとすぐに息子である安殿親王を次の天皇に決めています。

また当時は次の天皇に誰がなるかは常に争いが起き、陰謀や暗殺が横行するような状況であり、桓武天皇だけが特別に非道だった訳ではありません。
崇道神社の本殿
▲崇道神社本殿

誰が次の天皇になるかは常に激しい争いが起きた。

乙巳の変(いっしのへん)では中大兄皇子が当時の権力者である蘇我氏を殺害したことで自分に権力が集中する体制を築いたことは有名です。
一般的には悪者の蘇我氏に権力が集中して政治が乱れるのを防ぐためとか、当時の中国である唐が朝鮮半島に進出しようとする中で日本の防衛体制を天皇中心で築くために蘇我氏が邪魔だったとか言われていますが、単純に中大兄皇子が自らの権力を高めたいだけだったという説もあります。

蘇我氏が中大兄皇子に襲撃された際に蘇我氏は「いったい私が何をしたというのでしょうか?」と涙ながらに命乞いをしたと言われています。

厩戸皇子(聖徳太子)の息子である山背大兄子は次の天皇になる資格を持つ有力な人物でしたが、同じく次期天皇候補者のライバルに殺害されてしまいました。
時代は下り孝謙天皇が天皇だった時代には、次期天皇候補者が次々にライバル候補者によって殺害されています。
天皇になれば優雅な生活を送る権利を得ることができますが、天皇になれなければ一気に貧しい生活を送る可能性が出てくるので天皇争いは激しいものでした。
八瀬の景色
▲崇道神社前の景色

崇道天皇は今もなお怒っているのだろうか。。。

現在の崇道神社は観光客が訪れるような神社ではなく、地元の人や知る人ぞ知る神社となっています。
また崇道天皇が陰謀によって亡くなった歴史から、崇道神社は密かに心霊スポットのような怖い神社としても知られています。

崇道天皇が現在もなお恨みを持っているかはわかりませんが、京都市の中でも北東の外れの位置で静かに京都を見守っています。。。

崇道神社へのアクセス方法

京都駅から崇道神社へ行くには少し手間がかかります。
叡山電鉄の八瀬比叡山口駅から歩いて行くのが個人的にはおススメです。

京都駅からJR奈良線に乗り1駅先の東福寺駅で京阪電車に乗り換え、終点の出町柳駅まで行きます。
出町柳駅で叡山電鉄に乗り換えて八瀬比叡山口駅で降りてから徒歩10分程で到着です。
(京都駅から東福寺駅まで1駅 乗車賃:140円 乗車時間:3分。
東福寺駅から出町柳駅まで7駅 乗車賃:270円 乗車時間:15分。
出町柳から八瀬比叡山口駅まで7駅 乗車賃:260円 乗車時間:15分)

他県にお住まいの人で崇道神社を訪れるために京都へ来る人はいないと思います。
八瀬比叡山口駅には紅葉が美しいことで有名な瑠璃光院や蓮華寺に行く際に利用できる駅ですので、紅葉の季節に瑠璃光院を訪れるついでに崇道神社も寄ってみるのが現実的かなと思います。